小説 アンドロイド 「AYA/2nd」 連載3
さらに昇は思った。
「だいたい世の中なんて何が起こるかわからないものだし、情報番組のコメンテーターの言うようになんて世の中は動かないに決まっている。地震だって急に起こるし、50年以上続いている保守政権だっていつ交代するかわからないのだから、僕の家に突然アンドロイドが来たって別に不思議なことではないはずだ。でも、貴殿の生活に役に立つと言われても、僕は特に困っていることなんか何もない。すごくおいしいとは言えないにしても、料理だって出来るし、お寿司も握れる。アイロンがけだって上手に出来るし、掃除も決して嫌いじゃない。親しいガールフレンドもいるし、二週間に一回位はいっしょに寝る。十分に満足とは言えないかもしれないけど、今の生活を楽しんでいる」
とはいえ、唐突で、一方的な「依頼」も、昇の日常を大きく妨げるものでもないようだ。それに、多少の好奇心もあった。昇はもう一つの段ボールを開け、決してセンスがいいとは思えないが、きちんと下着を着けた下半身を取り出し、大きなプラモデルを組み立てるようにそれぞれの部品を組み立て始めた。主に腕や足の関節をつなげたらいいようである。しかし、プラモデルのように接着剤でくっつけるわけではない。たくさんのセンサーや、超小型モーター、血管のような無数の配線が色別の小さなユニット状になっている。それぞれの色を間違わないように丁寧に一つずつはめ込んでいく。昇は有能な外科医が細い血管を一つずつ縫合するように神経を指先に集中させた。不自然な姿勢で腰が痛み始めているが、かまわず作業を続けた。両腕、両足をつなぎ合わせると、昇はようやく床に腰を落とした。さほど暑くもないのに額や、首筋に汗が流れる。長袖のTシャツの背中は汗で張り付いている。額の汗を袖でぬぐい、改めてアンドロイドの全身を眺める。
Tシャツに下半身下着では何ともアンバランスなので、昇は、寝室にしている四畳半ほどの洋室に行き、洋服ダンスからジーンズを取り出した。ロボットの身長は百五十五センチ程度なので、昇のジーンズでは大部長いが、裾をまくれば何とかなりそうだ。いささか肉感的な下着姿の下半身に、少しドキドキしながら、昇はジーンズを穿かせた。上からざっと眺めてみる。髪は流行りのアシンメトリーボブ風で、少し丸顔。目を開けたらきっと愛らしい顔であるに違いない。小柄であるが、「フェイト」の少女セイバーのように足が長い。とりあえず、リビング替わりにしている八畳の洋室まで引きずってきて、先週届いたウールリネンでできた若草色のジャギーラグに寝かせた。それから、ダイニングキッチンに戻り、すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干してつぶやいた。
「やれやれ」
セットアップ後に再起動させると、「ブーン」という小さなノイズの後に亜弥(AYAⅡでは人間の名前らしくないので、昇が勝手に命名した)の全身が細かく震えた。すると、AEDの電気ショックで生命を吹き返した人間のように、ジワっと亜弥の身体に生気がみなぎってきた。
亜弥は大きく目を開いた。ほんのり赤味がさした幼児のような柔らかい肌。少し丸味をおびた形の良い鼻にチョコレート色の瞳がよく似合っていた。
昇は「こんにちは」と、とりあえず挨拶をした。それ以外の気の利いた挨拶などとても浮かんではこなかった。亜弥は「こんにちは」と応えてから辺りを見渡した。それから昇の目を見つめて
「木村昇30才。金属加工メーカーのSEで独身。あなたのことはだいたい知っているわ」
と、つまらなそうに言う。昇は少し顔を歪め、ひと呼吸置いて話を続けた。
「君の名前は亜弥。僕がつけた名前だ。もし嫌だったら言って欲しい。今日から君とここで過ごすことになるらしいけど、君は特に何もする必要はない。そして、僕の邪魔もしないで欲しい。君は優秀なコミュニケーション型のロボットらしいので、僕の生活の様子を見て、人間の生活について学習してほしい。つまり、社会的な常識というやつだ。何かわからないことがあったらいつでも質問して構わないよ」
昇は、極力友好的に話をした。
「名前は別に嫌じゃないわ。センスが良いとは言えないけど、あなたが決めたのならそれでいい。私はあなたと協調するようにプログラミングされているから、基本的にあなたに逆らうことはないから安心して」
何だかいちいち癇に触る。昇は、このアンドロイドの感情をプログラミングした研究者の性格について少し考え、思い直してマニュアルをもう一度開いてみる。
注(3)AYAⅡの感情、性格等、心情領域は他者とのコミュニケーション活動や、環境によって進化あるいは後退することがある。
「君の、その少し生意気な性格も、設定の調整が必要なようだね」
亜弥は昇の言葉を無視して、絨毯の上で不自然なストレッチをし始めた。(つづく)
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