小説 アンドロイド 「AYA/2nd」 連載4
陶器が壊れる突然の大きな音に、昇は跳ね起きた。昔つき合っていたガールフレンドと微笑みながら話をしている淡い夢の途中だった。時計を見ると朝の六時。あわてて音のした部屋に向かう。
ダイニングキッチンは大変なことになっていた。フライパン、ポット、コーヒーミル、コーヒーカップ、食パン、ベーコン、たまご……。キッチンのあちこちに、意志を持った生き物達が急に動きを止めたように散乱していた。アイボリーのフローリングの上には逆さまになったフライパンの上に卵が落とされ、ハイマウンテンのコーヒー豆が散らばり、ガラストップのガステーブルにはトーストになるはずだった、月に一度のフォートナム&メイソンのロイヤルローフが乗っかっていた。そして、ガス台の前には首をかしげた亜弥が立っていた。
言葉を失い、あんぐりと大きな口を開けて立ちすくむ昇に気がつくと
「フライパンを出して、卵を出して、コーヒーを出す。食パンを用意してトーストにする。これが一般的な朝食である。と、頭に書いてあるのに何故パンも目玉焼きも焼けないの。ポットのお湯も沸かないし、何故コーヒーが粉にならないの?」
昇は、これは突然切り替わったいやな夢なんだと、必死に思い込もうとした。無駄だと知りながら……。
「いいかい。何でも、ただ出しただけでは料理にならないんだ。切ったり、火を使って焼いたり……つまり、色々な行為が有機的に結びついて料理が完成する。うーん、とにかく君は何もしなくていいから、僕のすることを観察していてくれ。君は優秀なロボットらしいから、そうやって学習出来るはずだとマニュアルに書いてある。学習が出来ていないのに、下手なプログラム通りにしようとするとこんなことになる。今日は日曜日だから良かったけど、普通の日だったら僕は完全に遅刻だ」 たっぷり30分かけて片付けたキッチンの椅子に座り、昇は亜弥に懇願した。亜弥は悪びれる様子もなく
「ふーん、そうなの。エネルギーを摂取するために有機的に結びついた行為の総体が朝食ってわけね」
昇は、大幅にイマジネーションの不足したプログラマーを呪った。とにかくこの子とこれ以上部屋の中にいると気が滅入りそうなので、買い物と、亜弥の学習がてらに散歩に行くことにした。
一年のうちで良い季節が二つあると昇は思う。春と、この時季だ。昇の住む小さなマンションを出ると、高い空に、芸術家かぶれのペンキ屋が白いペンキを幾筋も幾筋も伸ばしたような巻雲が見え、少し冷たくなった風が陽だまりを通り過ぎる。近所の白い家の小さな花壇にはガーベラやオシロイバナが暖かい日差しを浴びていた。辺りには、まだ微かに金木犀の残り香が漂い、昇を少し癒してくれる。二人は住宅街を抜け、駅の方に続くゆるやかな坂を下りた。亜弥は珍しそうに辺りを見ながら昇のすぐ後ろについて歩く。外に出てからズーと無言である。
国道が通る信号を渡ると駅前の商店街に出る。ブティックや本屋、飲食店などが入った複合ビルを中心に、コンビニや花屋、ケーキ屋、靴屋などが並ぶ小さなアーケードがある。ごく普通の商店街であるが、二つ、ちょっと珍しい店がある。それは、地下にライブハウスを持つ楽器店の四階建てのビルと、タイ人の経営する「ナム・プリック(野菜料理)」という名前のタイ料理の小さな店である。昇は、まだ一度もタイには行ったことがないが、ここのトムヤムクンが大好きで、ビールを飲みながら、このトムヤムクンを食べ、フランスパンを囓るのである。そんな話も亜弥にするのだが、興味があるのか無いのか、その表情からは読み取ることができない。たぶん、言葉からイメージを構成することがあまり得意ではないようだ。亜弥は、無表情に昇と並んで歩く。他人から見たら、この二人の関係はどう見えるのだろうなどと考え、手でもつないでみようと思うのだが、亜弥の反応が予想出来ず、動かしかけた右手を引っ込めた。
帰りにナム・プリックでお昼ご飯を食べて帰ろうなどと考えながらコンビニの前を通りかかる。制服は着ていないが、高校生風の男子が三人、店の入り口の横にべったりと座り、タバコを吸っていた。(つづく)
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