小説 アンドロイド「AYA/2nd」第二章 連載13
一刻も早くこの場を立ち去ろうとしたのだが、
「あら偶然ですね。私も紀伊国屋なの。そこまでご一緒しましょう」
などと言って、昇の心情をまったく意に介さない。しかも妙に馴れ馴れしく密着してくる。昇が少し離れようとすると、いつの間にかすぐ側にいる。彼女が話す社員のうわさ話などを半分以上聞き流しながら、昇は適当に相づちを打つ。紀伊国屋に近づいてきたので、じゃーまた……と言いかけた時に、
「もしかして、これから会う人って彼女だったりして」
昇が聞こえなかった振りをすると
「いいなーデートか。私も彼氏がほしいなぁ」
などと言って、昇に腕をからませたりする。昇は、こんなところを美憂に見られたら大変だと思い、あわててからんだ腕を離そうとする。すばやく紀伊国屋の入り口付近の右から左に視線を走らせる。そして、美憂としっかり目があった。もちろんその目は笑っていなかったし、薄めのルージュの口許がピクピクっと動いて、右手に持っていたヨドバシカメラの紙袋が小刻みに震えていた。道路ひとつ離れた昇からもはっきり確認できた。昇は、彼女への挨拶もそこそこに美優の元に走っていった。
「誤解しているかもしれないけど、彼女はうちの会社の同僚で、まったく何でもない。時々ああやってからかったりして喜んでいる。変わった子なんだよね」
「そうらしいわね。私は誤解なんてしていないわよ。あっ、これあなたが欲しいって言っていたデジタル一眼のレンズよ」
きれいに包装されたレンズの包みが入った紙袋を、昇に手渡そうとして、直前で落とす。
「あら、ごめんなさい。滑ってしまった」
その顔はちっともすまなそうではなかった。昇は、美憂の右頬がぴくぴくっと動いたことも確認した。そして、彼女は、その場で、予約していたイタリアンの店をキャンセルし、わざわざ西口の立ち食いうどんの店に連れて行ってこう言った。
「この店、テレビでも紹介されていてとってもおいしいのよ。イタリアンより気楽でいいわよね」
顔は笑っていたが、視線は昇の瞳を貫いていた。
今週の十三日、土曜日に美憂がやってくる。もちろん亜弥には美憂のことを詳しく話している。詳しくというのは論理的にも、心理学的にもということである。
「ガールフレンドって何だ。恋人とは違うのか。ただの友達か」
亜弥の散文的で微妙な質問に、昇は答えに困った。
「もちろんただの友達ではない。僕は、ただの友達と寝たりはしないからね。でも、恋人かと言われると微妙だね。彼女がどう思っているかってこともあるけど、世間でいう恋人みたいな関係とは違う関係もあり得るし、いろんな意味で、もっとお互い自立した関係でいたいと思うし、男女であると同時にきちんとした友人でもありたいと思っている」
「何だかよくわからない。だいたいが、人間は自分に都合が良いように、友人と恋人の定義を替えたりする。でも、私はどっちでも良い。昇がそう思っている美憂をよく観察したい」
昇は苦笑した。美優にどう説明するかあれこれ考えるよりも実物を見せた方が早いか、などと楽観的に考えることにした。
土曜日は朝からとても良く晴れていた。パリの街の日常風景を表現した「オー・ド・メール」のロールスクリーンを上まで巻き上げ、窓の大きさに切り取られた風景に置き換えた。久しぶりの洗濯物もよく乾きそうな、柔らかな日差しが、さっき干された白いバスタオルにはね返っていた。この時季には珍しい穏やかな風が、亜弥のブルーのTシャツを微かに揺らしていた。亜弥が洗濯かごを抱えて、東側にある寝室からリビングに戻ってきた。洗濯機が置いてある洗面所に近いため、通常、ベランダには寝室から出入りする。
「昇、布団は干さないのか」
所帯じみた亜弥の言葉に少し驚きながら
「もういいよ。もうすぐ美憂が来る頃だ。そこに座って待っててよ」
昇が言うのと同時に玄関のチャイムが鳴った。美憂には電話で、亜弥が来るに至った経過を予め説明している。美優は九十%信じていないようだった。昇はそれ以上説明することをあきらめ
「とにかく会って、よく観察してみて」
と言って電話を切った。
美優はざっくりしたオフホワイトのセーターにジーンズという格好で、小さな丸い顔に長めのワンレングスボブが良く似合っていた。
「ああ、この子が亜弥さんね。初めまして」
美優は僕の顔を見る前に亜弥を見て言った。口許は微笑んでいたが、目は鋭く亜弥を観察していた。アイボリーのVネックセーターにジーンズの亜弥は、立ち上がって「こんにちは」と言って少し微笑んだ。コミュニケーション的にはかなり進化したと昇は思った。
「ホントに久しぶりだわ」
美憂はリビングを見渡し、サイドボードの黒猫ジジの小さなぬいぐるみを人差し指でつついた。それから隣の昇の部屋のドアを開けた。しばらく部屋の中を見た後、振り向いて初めて昇の顔を見た。
「へえ、昇のふとんに亜弥さんの下着とあなたのトランクスが並んで置いてあるのね。何をしていたんだか」
手を組んだ美憂は、今度は顔も目も笑っていなかった。笑っていないのに右側の口角だけ少し上に上がっていた。何のことか見当が付かず、昇は、美優を避けるようにして自分の部屋を覗いた。確かに布団の上に、昇のトランクスと亜弥のショーツが絡み合うようにあった。(つづく)
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コメント
>布団の上に、昇のトランクスと亜弥のショーツ
あちゃーって感じですね。
こんな場面に遭遇したくないですね。
現実ではないのに冷や汗がでてきますよ(゚ー゚;
ジジちゃん、久しぶりに登場ですね。
なんか元気だった頃の、記事を懐かしく思い出しました。
投稿: くるたんパパ | 2012年4月26日 (木) 05時26分
ほんと、(→o←)ゞあちゃーですね。
美憂の目の中に炎メラメラ
強張る昇の顔、冷や汗たらり...
こちらまで汗ばんでしまいました。
ん? ジジってぬいぐるみ...
以前、ほんとに飼ってたってこと?
どんなバトルが始まるんだろう。
それも気になるけど、デジカメ一眼の
レンズ、大丈夫だったのかしら?
それも気になる私です。(笑)
投稿: casa blanca | 2012年4月26日 (木) 07時41分
くるたんパパさん
>ジジちゃん、久しぶりに登場ですね。
なんか元気だった頃の、記事を懐かしく思い出しました。
ジジのことを覚えていていただいたんですね。すごくうれしいです。ありがとうございます。
思い出すと涙が出ます。
投稿: モーツアルト | 2012年4月26日 (木) 22時21分
casa blancaさん
いつも読んでいただいてありがとうございます。
>ん? ジジってぬいぐるみ...
以前、ほんとに飼ってたってこと?
「魔女の宅急便」に出てくるジジと良く似た黒猫を飼っていました。うちのジジは女の子でしたが……
実は、このブログの主役でもあったのですが。
レンズは壊れてしまったかもしれませんよ
投稿: モーツアルト | 2012年4月26日 (木) 22時25分