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2012年5月28日 (月)

小説 「3・3㎡/2」 連載1

(※アンドロイド「AYA/2nd」を少しお休みして、新しい連載を、少々。)

あれからどの位時間がたったのだろう。この狭い空間には、時刻を示すものも、時刻を暗示できる窓もない。入り口にはドアがあるが、随分前から開くことはない。鍵は、部屋の内側にしかついていないのだが、そんなことはこの状況を解決するのに何の意味も持たない。このドアは、外からなら開くかもしれないが、開けるべき人間は誰もいない。

「寒い」

冬にはまだ間があるのに、深夜になってからひどく寒い。何時間か前の心からの温もりが、まるで遠い記憶のように疎遠な出来事に感じられる。ここには、暖房装置は一切ない。最近は付けている人も多いのかもしれないが、花南(かな)は、不幸にも、その必要を感じていなかった。パジャマに素足というスタイルもその原因のひとつなのであろうが、この時間帯、たいがいの人は同じような格好だと思う。一.七㎡ほどの広さのこの部屋には電球型の蛍光灯が一つと、無機質な灰色の壁紙と、床にはベージュの塩ビが貼ってある。当然のことながらテレビもオーディオ装置もない。仮に、それらがあれば、あるいは幾分気が紛れたのかも知れないが、それも根本的な解決にはなりはしないだろう。

いったい何時なのだろう。たとえ時刻がわかったとしても、状況は変わらないのだが、時刻がわからないことが、一層花南の不安をかき立てる。時間を失った花南には、もう未来は存在しないも同じように思われる。いや、これはメタファーではなく、現実であるかもしれない。そんな状況にもかかわらず、花南は立川祥吾(しょうご)のことを考えた。

花南は五年前に父を癌で亡くした。それ以来母と二人暮らしである。父が残してくれた幾ばくかの預金と、父が、こつこつと買い貯めていた株券が思わぬ値上がりをし、すべて売却したらある程度の金額になった。父が残した一軒家を売って、駅の近くのマンションに越してきた。十一階建ての八階。遠くに見える山並みと、そこから無数に広がる建物。高速道路の高架。ジオラマのようなこの光景を花南は結構気に入っている。母は、この夏に脳卒中で倒れ、以来駅の近くの公立病院に入院している。近いので毎日病院に行ける。贅沢は出来ないが、母と二人で食べていくのに十分なものを父が残してくれているので、暮らしのために花南が働く必要はないのだが、花南は、友人が経営している花屋で働くことが楽しくもあり仕事を続けている。母が入院している病院も近いので、何かと便利でもある。花南は、今年四十二才になった。今まで何人かの男とも付き合ったし、その内の一人と長い期間つきあった。しかし、何となく結婚までは踏み切れなかった。河南は真にそれを望んでいなかったのだと思う。そして、今に至っている。今の自分が決して若いとは思わないが、三十代の頃とさほど体型も変わっていないし、目元の優しい印象や、形の良い鼻は自分で結構気に入っている。肩まで伸びた髪も自分にはよく似合っていると思う。つまり、四十二才という年令も、河南のそれなりの美しさを損なう要因にはまだ至っていないようである。

祥吾が花南の店にやって来たのは秋の終わりの頃だった。

「この時期に、部屋にあれば良い花ってありますか」

アイアンブルーのセーターに白いボタンダウンのシャツを着たこの男は、四十半ば位であろうか、ちょっとくたびれた感じもするが、初秋の秋風のような柔らかさがある。髪は白髪が交じっているが、少し前に垂らした髪と、目もとの印象など、花南の好きなキキョウが、終わりかけているようでもあるが、嫌いではない。

「これはどうですか?」

秋明菊に二、三の花を添えて胸元で揃える。

「あっ、良いですね。うちの部屋も明るくなりそうだ。それ下さい」

花南が切り花を包もうと、レジのテーブルに載せたときに、側にあったガラスの花瓶に触れ、大きな音をたてて割れた。床に散った薄いガラスが、照明の光を受けて小さな花びらのように輝く。

「痛い」

割れたガラスに手を触れて、花南が小さな悲鳴をあげた。右手の人差し指に赤い糸のような血が滲む。

「良かったらこれをどうぞ」

男が差し出したカットバンを、いぶかしげに見ながらも、花南は礼を言って受け取った。

「うちの子がよく小さなケガをするものですから、いつも財布にいれているんですよ」

少し照れながら、男は、財布をチノパンの後ろのポケットに入れた。

僅かな花束を持って帰って行く男の後ろ姿を、花南はしばらく見ていた。

「ふぅーん……」

右手にスーパーの買い物袋、左手に花を持った男の背中は、ちょっともの悲しくもあり、同時に、親しみも感じた。男の姿が交差点を右に曲がり見えなくなると、花南は残りの秋明花を揃えながら、男の部屋に生けられたこの花の有りようを想像した。

「部屋にあれば良い花か……」

右手のカットバンに触れながら、花南は呟いた。(つづく)

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コメント

おお、新作ですね。

花南の身に一体なにが起こっているのか...
気になります。

創作活動はいつ? 
これも気になるなぁ。
入浴中?、通勤途中?、寝床?
常にノートを携えていて、思い付いたら
書き留めてらっしゃるとか? ノート
じゃなくて、iPadに残してるのかしら?

投稿: casa blanca | 2012年5月29日 (火) 14時22分

まだ、どういう展開になるか、想像がつかないですね。
でも、SFっぽいような・・・

投稿: ブルー・ブルー | 2012年5月29日 (火) 21時01分

このあとの展開がすごく気になりますねぇ。

花南が妻子持ち?の祥吾に惹かれていくのでしょうね。


花南は42歳ですよねぇ。
「甘く危険な香り」がするなぁ〜。

投稿: くるたんパパ | 2012年5月30日 (水) 05時23分

casa blancaさん
いつも読んでいただいてありがとうございます。

>創作活動はいつ?

考えるのはいつも考えています。一番良いのが電車の中です。登場人物のヒントになる人がいっぱい居ますからね。
文章にするのは、やっぱり夜ですね。集中しないとなかなか書けません。家族が寝静まった頃に部屋に籠もって書いています。最近、なかなか進まなくて困っています。 

投稿: モーツアルト | 2012年5月30日 (水) 14時53分

ブルー・ブルーさん
いつも読んでいただいてありがとうございます。

冒頭に思わせぶりな状況を書いているのですが、今回はSFではないですよ。
さて、花南はどこにいるのでしょう?

投稿: モーツアルト | 2012年5月30日 (水) 14時58分

くるたんパパさん
いつも読んでいただいてありがとうございます。

>花南は42歳ですよねぇ。
「甘く危険な香り」がするなぁ〜。

アハハハ、そうですね。祥吾には妻はいないという都合の良い設定にしています。
もっともっと想像力が必要だと思うのですが、なんせ貧困なもので……困ってしまいます

投稿: モーツアルト | 2012年5月30日 (水) 15時04分

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