小説「take it easy」 ~その8~
バンドの練習は加藤君の家でやった。加藤君の家は僕の家の何倍もの大きさだった。門から玄関まで結構歩かないといけない。門と玄関の間には大きなユリノキがあった。若葉マークのような大きな葉っぱが夏の光の中で輝いている。キラキラ光るユリノキの葉の間に、五月に咲くはずのたくさんの白い大きな花が見えたような気がした。
加藤君の部屋は「離れ」のようになっていて、家の玄関から入らなくとも直接部屋に入ることが出来る。加藤君の部屋も、僕の部屋の五個分はあると思う。部屋というよりも一軒の平屋の家という方が正確かもしれない。
「この部屋は元々は父の部屋だったんだ。この家は父の実家で、正確には僕の家じゃないんだ。祖父母の家なんだ。両親は、今アメリカに住んでいる」
「ふーん、そうなんだ」
人にはいろいろと事情がある。加藤君には加藤君の事情がある。僕はあまり立ち入って詮索しない方が良いと思った。結城さんも同じ思いなのか、黙って聞いていた。
とりあえず僕たちはスタジオ作りの準備をした。僕のギターを買った楽器店から中古のアンプを買って、無理を言って運んでもらった。無理を言ったついでに、結城さんの家からエレピアノも運んでもらった。
バンドの練習はなかなかうまく行っている。ベースは初めてだと言っていた加藤君は、やっぱりすぐに弾けるようになったし、結城さんのエレピもなかなかのものだ。僕はそれについていくのに必死だったけど、とにかくよく練習した。父親が選んでくれたギターはとても良い音がした。ギターのことはよく分からないけど、綺麗な音はよく分かる。バランスの取れた澄んだ音はきっとこのギター特有のものだと思う。弦を弾くと、ボディーを通して微かな震えが僕のお腹に伝わってくる。僕はその震えを体全体で吸収し、味わい尽くす。鼓膜が捉えた心地よい振動は脳を刺激し、アドレナリンが体中を駆けめぐる。
僕は気持良くギターを弾く。GのコードとGが乗っかったCやAm7のコードがバランスの良い響きで進行するイントロ。加藤君が歌い出す。適度なピアニシモと適度なフォルテ。滑らかに流れる歌声に僕はうっとりする。時々重なる結城さんの歌声は加藤君の歌声と三度の間隔でハモりながら穏やかに調和する。それはまるで二色の風がぴったり並んで澄み切った空を流れていくようだった。二色の風は、僕のギターの和音と混じり合って、キラキラ光るユリノキの葉を通り抜け、やがて夏の空に吸い込まれる。僕はもう一人ではない。例え物理的に一人になったとしても、以前の一人ではない。ギターのストロークを一つ刻むたびに僕の心は解放される。ギターとベースとピアノと僕たちは一つになる。まるでウェスト・コーストを吹き抜ける夏の風のように。そして、最後のEm(イーマイナー)で突然風が弾ける。
We ought to take it easy.
(完)
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