小説「take it easy」 ~その4~
夏休みに入って間もない頃、僕らはいつものように吹き矢の練習に行った。クチナシの花が純白の輝きを失い、無残に変色して地面で朽ちようとし、それに代わって、ムクゲの花が日差しの中で咲き誇っていた。季節は大きく移り変わろうとしていた。吹き矢を構える加藤君のこめかみから汗のツブが頬をつたい、フェンダーのロゴが入った真っ白なTシャツの襟元に吸い込まれていく。時折、森の方から涼しい風が吹き、加藤君の柔らかそうな髪をすくい上げる。僕は六メートルではなく、十メートルの線からふけるようになり、時々七点も出せるようになった。
いつもの練習が終わり、僕たちは神社の方へ戻ろうと歩き出した。誰もいないはずの森の方から女の声が聞こえた。それも、どう考えても緊迫感のある悲鳴に近い。僕たちは顔を見合わせた。そして、同時にその方角を見た。僕らは木立をそっとかき分けながら、低い姿勢で声のした方に向かって行った。加藤君の背中を見ながら、僕は心臓の激しい音を意識する。ムッとする草いきれの中で背中が汗ばむ。十メートル先の、そこだけ木立が切れて小さな草むらなっている所で人が動いていた。二十代の男が二人、女が一人。どう見ても女性が乱暴されかかっている。普通のスポーツウエアとは明らかに違うジャージの男が女性の口に布を咥えさせ両手を押さえている。女性の足は、バタバタと草を蹴る。もう一人のジーンズの男が立ってズボンをずらしかけている。ジーンズのお尻の下にわざとの破れがある。その破れから堅そうな毛が疎ら見えた。三人の真上にはソフトクリームのような真っ白な雲が浮かび、その間からまだ成熟仕切っていない太陽が三人をのんびり照らしていた。
僕たちは一瞬立ち止まって顔を見合わせた。二人が同時に唾を飲み込む。そしてその場に身を隠した。僕の心臓はさっきよりももっと激しく動き出す。喉が渇く。何度も唾を飲み込む。加藤君はカバンから吹き矢の筒を取り出し、手早く組み立てた。そして、さっきとは別のケースに入った矢をいくつか取り出し、筒に入れた。低い位置から身構えてプッと息を吐いた。一連の動きはとても素早かった。矢はズボンをずり下げた男の、黒い縮毛のあるお尻に突き刺さった。七点だ。
ウッと呻いて男が膝をついて、そのまま倒れ込む。ジャージの男が何が起こったのかよく分からず駆け寄る。ジーンズの男を抱えた右腕のハートのタトゥーの真ん中に、もう一つの矢が突き刺さる。男は顔をしかめ少し痙攣してジーンズの男の上に倒れ込む。静かだった森が急にざわめき、そこから吹いてきた強い風が女性のスカートをめくり上げた。一瞬だけ白い足が太ももまで露わになる。
「逃げろ!」
加藤君の声でスリープしていた僕の体が反応した。女性も反応した。パッと起き上がり、僕たちの方に走ってきた。
「付いてきて!」
加藤君の声を合図に、僕らは駆けだした。加藤君、女性、僕の順番で走った。夏の空に、オナガのグェーグェーという場違いな鳴き声が聞こえていた。
神社の入り口で僕らはようやく立ち止まる。三人とも同じように膝に手をついて呼吸を整えた。まだ心臓がドキドキしている。僕は荒い息をしながら、大きなアリが足元をゆっくり歩いているのを見ていた。
「ありがとう。助けてもらったのね」
ニットのボーダーのワンピースの女性は思ったより若かった。たぶん僕らと同じ位かもしれない。髪の毛は少し乱れていたが、他の所はひどい状態にはなっていなかった。普通なら泣き出しているのかもしれないけど、この子はそうしなかった。ワンピースについた草を両手で払う。まるで草原に座って本を読み終わった時に何気なくお尻のあたりの草を払うように。
「近所に住んでるの? 送っていこうか。あいつらはしばらくは動けないと思う。」
加藤君が聞いた。
「ええ。お願いして良い? やっぱり、まだ怖い」
僕は、大きく頷いた。(つづく)
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コメント
なるほど、そういう展開ですかぁ。
ボーダーのワンピースというのが、
何故か僕にとてはリアルです。
投稿: くるたんパパ | 2013年1月11日 (金) 05時27分
ありゃ、私もくるたんパパさんと
同じことを書こうと思ってました。
静から動に入りましたね。
ここから話がどう展開して行くんだろう。
恋愛、三角関係、タイトルからすると
漱石の「こころ」みたいな展開には
ならないかな。
投稿: casa blanca | 2013年1月11日 (金) 09時43分
吹き矢が、思わぬところで活躍ですね。
このあとどう展開していくのでしょう。
投稿: ブルー・ブルー | 2013年1月11日 (金) 11時39分
くるたんパパさん
>ボーダーのワンピースというのが、
何故か僕にとてはリアルです。
どうしてなんやろー
。
読んでいただいてありがとうございます。
投稿: モーツアルト | 2013年1月11日 (金) 23時17分
casa blancaさん
>静から動に入りましたね。
ここから話がどう展開して行くんだろう。
短編なので、「動」はこれ位で、後は終盤に入ります。すみません
読んでいただいてありがとうございます。
投稿: モーツアルト | 2013年1月11日 (金) 23時20分
ブルー・ブルーさん
すみません。この後の展開はあまりないかもしれません
。
読んでいただいてありがとうございます。
投稿: モーツアルト | 2013年1月11日 (金) 23時21分