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2014年2月22日 (土)

小説「陽炎」~その1~

「会社を辞めたくなかったら、おまえの番組を打ち切れ」

プロデューサーと議論していた。クーラーが故障したこの部屋は暑い。僕を睨み付ける彼の首筋が汗で濡れていた。僕は震える手で机を叩き、睨み返した。暑い。

 

参院選で与党が大敗し、野党が第一党になったというFMのニュースで目が覚めた。七月も終わりになると、朝から暑い。少し前までは、この時間はこれほど暑くはなかった。嫌な夢を見た。去年の夏の出来事だった。

四十歳になった二〇〇七年、今年の三月で、今まで勤めていたテレビ局を辞め、とりあえず、家で出来るアルバイトを始めた。以来、健康のため、朝、歩くことにした。。

六時に目を覚まして、目覚ましがわりのFMを聞きながら軽いストレッチをする。女性のDJの声がぼんやりした頭に行き渡り、少しずつクリアになる。

六時半に家を出て、何度かの試行錯誤の末に決めたコースを歩き出す。このコースを歩くようになってから一週間ほどになる。家を出て、少しだけバス通りを歩き、後は、人通りの少ない裏道を通り、古い神社を通り抜け、住宅街を通って家に戻る。小一時間ほどの距離だ。

駅までのゆるい下りの舗道を、出勤途中の男女が、少しでも時間を切り詰めるように足早に下りていく。大阪にも、京都にも近いこの街は、朝の通勤時にはたくさんの人々が駅に向かう。僕は、邪魔にならないように、バス通りから外れて、住宅街に入る。そこは、数年前に開発された住宅地で、戸建ての建物はまだ新しい。隣接する市立の幼稚園の角を曲がり、古い住宅街に入る。木造モルタル住宅の玄関から老婆が出てきてじろっと僕を睨む。僕は知らない振りをしてどんどん歩く。クマゼミの死骸を踏まないように時々路面に目をやりながら古い神社に向かって歩く。この辺りは、所々、まだ畑が残っていて、そこで穫れた野菜を道ばたの無人の小屋で売っている。手書きで<百円>と書かれた紙の貼ってある棚にはキュウリやナスが無造作に置かれていた。

神社の森が見えてきた。千年以上も前からここにある森は、人々の移り変わりを営々と見続けていたのだろう。Zinzya11_2
(イメージです)

森に沿って山門まで歩く。クヌギや椎の雑木が東からの太陽を遮断して、その辺りだけ気温を下げる。そして、不思議なことにセミの鳴き声すら聞こえない。風化してよく見えないが、「菅原神社」と書かれた石造りの鳥居。その横に置かれた手水鉢で手を洗い、階段を上る。七、八十段ほどある階段の両脇は雑木林で、薄暗く、人の気配も無い。しかし、千年もの間息を潜めてこの雑木林にじっと居座る、物の怪だろうか、その微かな気配が、ひんやりした空気を通して僕の最も深い感覚を刺激する。その気配を打ち消すように、突然クマゼミが鳴き出した。雑木にしがみつき、羽を振るわせて鳴いている無数のセミ達の声。それは、夥しい数の修行僧が唱える念仏のようにも聞こえる。階段に沿って常夜灯がいくつか置いてある。常夜灯の石は、たくさんの苔で覆われ、一体どれ位まえからここにあるのかも想像がつかない。

暗い階段を登り切ると、朝の太陽が眩しい。軽い目眩を感じながら、神殿に至る参道を歩く。<上るな危険!>という貼り紙のある常夜灯は幾分新しく見える。Zinzya21_2
(イメージです)


神殿の横の古いベンチにその女性が居た。
クマゼミの鳴き声がぴたっと止み、神殿の周りの空気が凪いだ。その若い女性は僕を見ているのか、それとも、僕の背後の何かを見ているのか、こちらに視線を送る。オフホワイトの半袖のワンピース。同色の丸いつばの柔らかそうな帽子。脇に薄いオレンジ色の日傘が置いてあった。背後にある大きな椋の木がベンチに適度な日陰を作る。凪いでいた風がフッと動いて彼女の前を通り過ぎた。涼しげな風の中で、その女性が少し微笑んだように見えた。僕は軽く会釈して神殿の前で立ち止まり、お辞儀をして石段に座る。右目の端で女性を意識しながら、いつものように水筒のお茶を飲む。常夜灯の上に浮かぶ積乱雲をぼんやり眺めていると、止んでいたクマゼミの鳴き声が僕の鼓膜を叩く。右側のベンチを見ると、女性は居なかった。まるで、最初から誰もいなかったかのように、ただベンチがあるだけだった。(つづく)

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コメント

おはようございます

景色が見えるようです

学生時代、片岡義男にハマッていたので、
こういう情景描写というか風景描写が大好きです。

半袖ワンピースの女性の登場もワクワクしますね

次回も楽しみにしています。

投稿: くるたんパパ | 2014年2月23日 (日) 05時42分

待ってました。(*^ ^* )V

お散歩の情景は、
モーツアルトさんのお散歩時の光景と
重なる様な気がしました。
今まで見掛けた画像の記憶が
浮かんできましたよ。

どういう展開になっていくのか
次回を楽しみにしています。

投稿: casa blanca | 2014年2月23日 (日) 08時51分

描写がていねいで、主人公と一緒に歩いているような気分になりました。

神社を満たす空気の表現が、心に響いてきます。

オフホワイトのワンピースの女性に、神秘的なものを感じます。彼女がこれから主人公とどうかかわってくるのか、とても楽しみです。

投稿: 三日月猫 | 2014年2月23日 (日) 11時08分

くるたんパパさん
読んでいただいてありがとうございます。
真冬に真夏のお話ですみません。なかなか体感が伴わないと思います。

>学生時代、片岡義男にハマッていたので、
こういう情景描写というか風景描写が大好きです。

そう言っていただけるとすごく嬉しいです。
もし、問題点などありましたら教えていただけたらありがたいです。

投稿: モーツアルト | 2014年2月23日 (日) 21時27分

casa blancaさん
読んでいただいてありがとうございます。

>お散歩の情景は、
モーツアルトさんのお散歩時の光景と
重なる様な気がしました。

そうなんです。いつもの散歩コースを参考にしました
1回目なので、情景描写が多くて退屈だと思います。短編なのですぐにおわってしまいますが、良かったら最後まで読んでいただけたら幸せです。

投稿: モーツアルト | 2014年2月23日 (日) 21時30分

三日月猫さん
読んでいただいてありがとうございます。

>神社を満たす空気の表現が、心に響いてきます。

ありがとうございます。お話の舞台がこの神社だけなので、ここの描写が要になるのですが、うまく表現できたのかこころもとなかったのですが、三日月猫さんからそう言ってもらえるとすごく安心です。

短編なのですぐに終わってしまうのですが、良かったら最後まで読んでいただいたらうれしいです。

投稿: モーツアルト | 2014年2月23日 (日) 21時35分

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