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2014年3月 8日 (土)

小説「陽炎」~その5~

「ホントですね。とても覚えやすいわ。お洗濯物を干すときは必ずあなたのことを思い出すかもしれませんね」

彼女はそう言って少し笑った。

「ついでだから言うけど、僕は、今年の春に、今まで勤めていた会社を辞めた。大阪のテレビ局。上司のプロデューサーと、以前から番組の編成について、意見が合わなくて、よく衝突した。僕が企画した番組も彼からクレームがついて没になった。それからいろいろ考えて、先月辞表をだした」

聞かれてもいないのに、僕は、自分の身の上話を始めた。固有名詞を明らかにしたことで、距離が縮んだような気がして、自分のことを話してみたくなったのかもしれない。それと、朝から仕事もしないで、こんな所に来ている理由も早めに明らかにしたかった。

「会社を辞めて、こちらにある実家に戻ってきた。まったく遊んでいるわけにもいかないで、大学の恩師から貰った、講義の資料作りのアルバイトをしている。新しい仕事を探さないといけないけど、まだその気にならない。ぼんやり過ごしてみるのも良いかな、なんて思っている。家賃も要らないし、今のところ、一人で暮らしていくのには何とか困らない。それに、何よりも自由な時間がたくさんある。いずれきちんと就職活動はしないといけないけどね」

「テレビ局を辞めたんですか!? 何だかもったいないなぁ。テレビ局ってなかなか入れないですよね。私は憧れるなー」

口元を両手で押さえるようにして、目を見開いた。好物のイチゴショートを一口も食べない内に床に落としてしまったような驚き方だった。

ichigokeki

「もったいないか……。就活をしている学生からみれば、確かにもったいないかもしれないね。でも、二十年近く勤めていると、いろんなことがある。僕が目指していた番組作りの理想とだんだんかけ離れていく。それは、どの仕事だって同じかもしれないし、僕が青臭いのかもしれない。だんだん周りと意見が合わなくなってくる。クライアントの要求が理不尽になってくる。そんなことが重なって辞めた。でも、僕が辞めても、会社も、世の中も変わらない。もちろん生活の不安があるから、なかなか思い切れなかったけど、僕は妻と別居中で子どももいない。年老いた両親もいない。そんな気楽さもあったのかもしれないな」

「テレビ局でどんなお仕事をしていたんですか?」

少し間を置いて彼女が訊いた。

「ドキュメンタリーを作っていた。僕にとって最後の番組は、2005(平成17)年に起こったJR福知山線の事故を検証する番組だった。特に、被害者やその遺族に焦点を当てて取材し、番組を作った。うやむやになりそうな事故の起因責任をはっきりさせたいと思ったんだ。二本のシリーズ予定だったけど一本で打ち切られた。ドキュメンタリーは視聴率が取れないし、ある大手のスポンサーからクレームがついた。よくある話だけどね」

話しながら、取材した人々を思い出した。普段は車で行くのに、たまたま電車を使った男性。働き盛りの夫が事故で亡くなり、生活が一変した女性。事故の精神的な後遺症で職場復帰を断念した人……余りにも多くの、そして、多様な被害状況と、当局のまったく誠意のない対応に呆然とした。僕は奥歯をぎゅっと噛みしめて、苦い思いを飲み込んだ。そして、暫くの間、番組に対する僕の思いを話した。

「こういう番組がだんだん作りにくくなっている。当事者だった僕が言うのも変だけど、テレビはそのうち社会的な役割を失ってしまうのかもしれないね」(つづく)

tvkyoku

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コメント

おはようございます

>二十年近く勤めていると、いろんなことがある。

ホントそうですね
僕も気がつけば転職していまの職場は20年以上になります

いまの職場でも、若い人が将来に希望を持てずに退職していきます。

自分にとって仕事って何なんだろう?最近になってよく考えますよ。


投稿: くるたんパパ | 2014年3月 9日 (日) 05時31分

気がつけば口から出ていた身の上話
そういうことから人と人って
始まるんですよね。

やらせ、圧力..
テレビ番組の質は低下してるなと
思います。

テレビ局勤務という肩書は、
水戸黄門の印籠のようなもので、
勘違いしている人って多いような
気がします。

次回は、彼女の方のお話かな?

投稿: casa blanca | 2014年3月 9日 (日) 10時29分

主人公の思いが一挙に吐露されましたね。
社会的な問題も提起されて、小説世界が広がりそうです。

予想外の展開で、これからどんなふうにお話が進んでいくのか、とても楽しみです。

投稿: 三日月猫 | 2014年3月 9日 (日) 11時03分

堰を切ったように自分のことを離し始める圭太。

 これもなにか不思議な力によるものなのでしょうか。不思議な世界と社会問題がからみあって、この先、どうなるのでしょう。

 話を聞く結羽の描写がかわいいですね。

投稿: びーのえむ | 2014年3月 9日 (日) 13時57分

くるたんパパさん
読んでいただいてありがとうございます。

>自分にとって仕事って何なんだろう?最近になってよく考えますよ。

ちょっと違うのですが、僕の仕事は結構不安定なので、急に無くなってしまったらどうしようなどと、更新の時期には不安でいっぱいになります。今年はセーフでした

投稿: モーツアルト | 2014年3月 9日 (日) 23時14分

casa blancaさん
読んでいただいてありがとうございます。

>水戸黄門の印籠のようなもので、
勘違いしている人って多いような気がします。

それは言えますね。「業界人」などと言って、特別だと思っている人も居るようです。

はい、次回は結羽の話を少しお伝えします。
この話、気に入っていただけるか不安になっています

投稿: モーツアルト | 2014年3月 9日 (日) 23時19分

三日月猫さん
読んでいただいてありがとうございます。

>予想外の展開で、これからどんなふうにお話が進んでいくのか、とても楽しみです。

三日月猫さん、あまり期待しないで下さいね
みなさんに、楽しんでいただけるか、何だか自信が無くなっています。期待を裏切ったらごめんなさい。次、頑張ります。

投稿: モーツアルト | 2014年3月 9日 (日) 23時21分

びーのえむさん
読んでいただいてありがとうございます。

>話を聞く結羽の描写がかわいいですね。

ありがとうございます。この描写はちょっと違うかな?なんて思ったりもしたのですが、まあいいか!!なんて思って、ちょっと不安な気持ちで書きました。
短い話なので、早くも後半になります

投稿: モーツアルト | 2014年3月 9日 (日) 23時25分

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