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2014年3月17日 (月)

小説「陽炎」~その9~

「まだ夏休みも終わってないのに、急なんだね。修論は目処がついたの?」

少し、責めるような言い方になっていたのかもしれない。

「そう。私もこちらに居たいけど、いろいろな事情があって帰らないといけなくなったの。修論の目処もついてないのにね」

結羽は、オレンジ色の傘の先で、水溜まりを何度か突ついてから

「本当に残念だわ……」

もっと何か言いたかったのかもしれない。でも、後は小さなため息になった。

「蒼空さん、私のこと……忘れないでね。ほんとに少しの間だけだったけど。いつまでも覚えていて欲しい」

そう言って結羽は僕を見た。彼女のチョコレート色の瞳に映った僕の顔がまた歪んだ。

「ねえ、理不尽に生を奪われた魂って、どこに行けばいいんだろう?」

あまりに唐突な質問で、僕は、どう考えれば良いのか分からなかった。

「変なこと言ってごめんね。今朝の新聞に、歩道に車が飛び込んできて、たくさんの人が死んだという記事が出てたの。それで、ずーっと、そんなことを考えてた」

雨上がりの涼しい風が結羽の髪をふわっと持ち上げて、通り過ぎていった。結羽の話も、その風に乗って、少しずつ見えてきた青い空に消えていった。二人ともしばらく黙っていた。クマゼミが一匹突然鳴き出し、場違いなことに気づいたのか、すぐに鳴きやんだ。同時に結羽が立ち上がった。

「帰ります。さようなら……。また会えるといいね」

そう言って、小さく笑った。僕は笑えなかった。特に根拠はないが、これが最後なんだという気がした。立ち上がって、その細い肩をギュっと抱きしめられたら良いと思ったが、立ち上がることさえ出来なかった。オレンジ色の傘を持った彼女の後ろ姿を見ながら、

『理不尽に生を奪われた……。誰にも救うことは出来ないと思う。でも、いつまでも忘れないでいることは出来る』

と呟いた。

結羽の言った通り、それから彼女に会うことはなかった。

八月に入り、お盆が近づいて来た、すっきりと晴れた良い天気の日だった。かなり暑くなりそうだった。僕はいつものように、朝の散歩に出た。いつもの角を曲がると、真っ白いムクゲが天を向いてすっきりと咲いていた。向日葵の黄色が眩しい。夏が日常の風景にしっかりと染みついていた。

mukuge

菅原神社の森は、いつものように、朝日を遮り、森閑としていた。手水鉢で手を洗い、山門をくぐり、長い石段をゆっくり上る。汗が背中をじわっと濡らす。額の汗を手で拭い、石段を上りきる。強い朝日に照らされた参道には、夏の日差し以外、何の気配もなかった。僕らがいつも座っていたベンチに腰を下ろし、頭上の椋の木を見上げる。木の枝がかかる神殿の樋の下には水を受ける石の手水鉢がある。昨日の雨のせいか、手水鉢には水が多い。その水面すれすれをウスバカゲロウが飛んで僕の目の前にやってきた。ゆっくりと僕の周りを回転して、いつも結羽がやって来る坂道の方に飛んでいった。

usubakagerou(つづく)

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コメント

突然、別れを宣告されると
悲しいですよね

これが現実に自分のことであれば、
何も言わずに姿を消して欲しいなぁ

でもそれも辛いですね。

投稿: くるたんパパ | 2014年3月18日 (火) 05時36分

亡くなった人は、死者として再び生きて、思い出してくれる人たちがいなくなってしまった時に、二度目の人生を終えるということを何かで読みました。

その期間は二代ぐらい。ひ孫の代ではもうそれほど記憶に残っていないからだそうです。

実際に生きた人生と死者として他者の記憶の中で生きた人生を合わせても、百数十年。それが長いのか短いのか。

理不尽に奪われた魂は、生きているものが忘れないことで、せめて死者としての人生を全うしてもらいたいな。

そんなことをふと思い出しました。

投稿: びーのえむ | 2014年3月18日 (火) 10時29分

思いがけない別れを告げられた主人公の、とまどいとせつなさが、伝わってきます。

描写がとてもていねいで美しく、拝読していて心地よかったです。

投稿: 三日月猫 | 2014年3月18日 (火) 10時35分

結羽は、
理不尽に命を落とした人だった。

そして、
「誰にも救うことは出来ないと思う。でも、いつまでも忘れないでいることは出来る」
の言葉を聞いて、

カゲロウに姿を変え、
舞い戻ってきてくれたのかな。

とふと思いました。
綺麗な描写がいっぱいあって、
素敵なお話でしたよ。

投稿: casa blanca | 2014年3月18日 (火) 13時10分

くるたんパパさん
いつも読んでいただいてありがとうございます。

>でもそれも辛いですね。

はい。どういう別れが1番良いのかなってお話を作るときにいろいろ考えます。でも、現実の世界では、気付けば、いつの間にか別れていたなんてことが結構あったような気がします。

次回はいよいよ最終回です。

投稿: モーツアルト | 2014年3月18日 (火) 16時50分

びーのえむさん
いつも読んでいただいてありがとうございます。

>亡くなった人は、死者として再び生きて、思い出してくれる人たちがいなくなってしまった時に、二度目の人生を終えるということを何かで読みました。

ステキな話です。「死者として再び生きて」本当にそう思います。

そろそろお彼岸なので、父母や兄達のお墓参りをしなくっちゃーと思いますhappy01

投稿: モーツアルト | 2014年3月18日 (火) 16時55分

三日月猫さん
いつも読んでいただいてありがとうございます。

>描写がとてもていねいで美しく、拝読していて心地よかったです。

そう言っていただけると、とても嬉しいです。すごく励みになりますhappy01
次作も読んでいただけたら嬉しいです。

投稿: モーツアルト | 2014年3月18日 (火) 16時58分

casa blancaさん
いつも読んでいただいてありがとうございます。

>カゲロウに姿を変え、
舞い戻ってきてくれたのかな。

作者はそこまで考えてはいなかったのですが、そういう解釈って嬉しいです。
確かにタイトルの「陽炎」と「カゲロウ」を意識しました。不自然じゃなかったら良いなーって思っていました。

>綺麗な描写がいっぱいあって、
素敵なお話でしたよ。

ありがとうございます。とても嬉しいですhappy01
次作も頑張ります。良かったら、また読んで下さい。

投稿: モーツアルト | 2014年3月18日 (火) 17時04分

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