小説「出前迅速」その4
アパートの裏のツツジの赤い花が、一枚ずつ地面にこぼれ落ち始めた頃だったと思う。
「だから、高校も出てない奴は使いものにならねえんだよ」
前川はそのセリフで、店長に掴みかかった。前川が蹴飛ばした椅子が飛んで壁にぶつかり、跳ね返って倒れる。店長の腰がテーブルに当たり、箸立てが飛ぶ。割り箸が床に散乱し、止めに入った男たちに踏みつけられた。
バイト先の店長と喧嘩して、殴る寸前にバイト仲間に止められ、警察に訴えられることは免れた。
着替えもせずに帰ってきた前川を見て
「どうしたの? もしかしてまた……」
「辞めたよ。あんな店、やってられっか!」
前川は冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出し、その場でプルトップを上げて飲んだ。一口飲んで、冷蔵庫の扉を乱暴に閉めた。中の牛乳の瓶がガタンと倒れた。
「やっぱり」
そう言って、キッチンの小さなテーブルに肘を突き、小さくため息をついた。そのため息は、使い古されたセリフのようにキッチンを漂い、換気扇に吸い込まれていった。
「車だって急ブレーキをかけて踏みとどまることもあるでしょう。たまには自分でブレーキをかけて踏みとどまりなさいよ。一生そうやって生きていくつもりなの!」
真以の視線は、一瞬前川の目を突き刺して、それから、壁のカレンダーに視線を向け、もうそれ以上何も言わなくなった。
翌日、真以のお気に入りの赤いスニーカーも、免許証や前川があげたお守りの入った財布も、当面必要な身の回りの物も無くなっていた。
<しばらく、おじさんの所に居ます>
というメモ書きが、コンビニのレシートの裏側に書かれていた。ちょっと癖のある見慣れた真以の文字。キッチンのテーブルの上にガムテープの切れ端で留められたレシート。その周りだけきれいに片付けられていた。
*
交差点を渡った所にあるガソリンスタンドでねずみ色のペガススを見つけた。前川も少し離れた給油口に止める。
「まいどー。満タンですか?」の声に
「三リッター」
ガソリンを入れてもらいながらペガススの運転席が見えないかと覗いてみるが、隣の給油機が邪魔して見えない。車を降りてタイヤを点検する振りをしてペガススを覗くが、窓のスモークで、やはりよく見えない。
「お客さん、ガソリンタンクの水抜剤入れましょうか?」
との店員の声に振り向いて
「ああ、要らない」
と、言いながら座席に戻る。
「おつりとレシートになります。裏にラッキーナンバーがありますので、次回ご来店の時に確かめて下さい。当たれば、ガソリンが割引になります」
前川はおつりを受け取り、レシートの裏を見る。
<あなたの前に道はありますか? 安全な走行にはエネオスのガソリンを! Lucky No.7744>
前川がペガススに目を向けた時、車が走り出した。前川も慌てて、軽のワゴンを走らせた。
幸い、軽トラを前に一台置いてペガススに付くことができた。右手でハンドルを握り、左手でもう一度レシートの裏のコピーを見た。フッと見上げたルームミラーにあの晩の真以の姿が浮かんだ。(つづく。次回最終話)
*
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コメント
おはようございます
>たまには自分でブレーキをかけて踏みとどまりなさいよ
何かリアルですね
僕はその正反対です。
いつもブレーキをかけっぱなし。
人と争うのが嫌いなので、そんな性格で損をしていることもあります。
たまには感情にまかせて行動してみるかなぁ〜
投稿: くるたんパパ | 2014年4月22日 (火) 05時43分
いつもながら情景描写がいいですね。
読んでいて楽しいです。
>そのため息は、使い古されたセリフ
>のようにキッチンを漂い、換気扇に
>吸い込まれていった。
ここでは、吸い込まれていくため息が
見えたような気がしました。(笑)
最近、TVで韓国の方々を目にすることが
多いですが、感情を露わにすることも
「キレやすい」に入るのかな。
耐え忍んで、感情を露わにしない
日本人とは対照的ですね。
投稿: casa blanca | 2014年4月22日 (火) 07時58分
真以のメモが、コンビニのレシートの裏に書かれていた、というところが、いいなぁと思いました。
この一文から、二人の生活が浮かび上がってくる気がします。
こういう細部って、ほんとうに大切ですよね。
投稿: 三日月猫 | 2014年4月22日 (火) 10時47分
くるたんパパさん
いつも読んでいただいてありがとうございます。
>僕はその正反対です。
いつもブレーキをかけっぱなし。
人と争うのが嫌いなので、そんな性格で損をしていることもあります。
はい。僕もそうです。でも、結果的に、決して損はしてないと思います。というか、そう思いたいという願望かもしれませんが
ストレートに自分の感情が出せる人が羨ましいと思うこともあります。
投稿: モーツアルト | 2014年4月22日 (火) 23時34分
casa blancaさん
いつも読んでいただいてありがとうございます。
>ここでは、吸い込まれていくため息が
見えたような気がしました。(笑)
ありがとうございます。そう言っていただけるとすごく嬉しいです。自分でも気に入った表現が浮かんでくると嬉しいです。逆に何も浮かばないときはとても落ち込みます
。
主人公のような性格が羨ましいと思うことがあります。なかなか自分の感情を露わにできませんね。
投稿: モーツアルト | 2014年4月22日 (火) 23時40分
三日月猫さん
いつも読んでいただいてありがとうございます。
>この一文から、二人の生活が浮かび上がってくる気がします。
こういう細部って、ほんとうに大切ですよね。
ありがとうございます。こういう文章がすっと出てくる時と、定型の文章しか出てこない時があって苦労します
いつも意識していないといけなんでしょうね。
次回最終話です。この結末で良かったのかな?と、今も疑問です。
投稿: モーツアルト | 2014年4月22日 (火) 23時44分