小説「春の訪れ」第4話
そして、少し言いにくそうに
「ただし、作曲者は僕だ。君の名前は出さない。報酬は僕と君で五分五分。君にとっては不満かもしれない。しかし、僕がプロデュースしない限り、まったくの素人の君の曲は世に出ることはない。君が曲を提供し、僕が世に出す。君のすばらしい曲がこのゲートウエイの中で埋もれているよりはずっと有意義だと思う」
そう言って机の上のコンピュータを指さす。思いもかけない提案だった。木星は緑川の話の意味がすぐには理解出来ず、もう一度頭の中で反芻した。緑川の後ろのポールに掛かった紺色のジャケットを、少しの間ぼんやりと見ていた。
「つまり、ゴーストライターってことですか?」
乾いた口からようやく言葉が出た。緑川は天井の蛍光灯を見上げた後
「いや、ちょっと違うな。しかし、君の曲がセンセーショナルに世に出るかもしれない。いや、僕が必ずそうする。残念ながら君の名前は出ないが、君の作品は日本中に流れる。素晴らしいことじゃないか」
そう言った後、スーツの内ポケットから小ぶりのノートを取り出した。
「夏に、広島でイベントを企画している。八月六日の慰霊祭の前にやる。<鎮魂ーーヒロシマーー>というタイトルを考えている。いろんなアーティストを呼んで被爆者の慰霊のコンサートを持つ。そのテーマ曲を君に作って欲しいと思っている。曲のイメージは僕が考えている。僕のイメージをモチーフにして君が曲を作る。コンサートの前にCDを作成しなければいけないのであまり時間は無い。どうだろう? 君が同意してくれれば、今日、早速曲の打ち合わせをしたい」
木星の眼をじっと見つめる。戸惑いはあるが、拒否するという心的作用はまったく起こらなくなる。辛うじて、
「先生が言うように、僕なんかまったくの素人ですよ。僕が作る曲がそんな大きなイベントのテーマ曲になるなんて考えられない。先生はどうかしてる!」
心が見透かされないように、大袈裟に手振りを加えて答える。
「僕は音楽プロデューサーだよ。音楽を聞く耳もあるし、価値判断も十分に出来るつもりだ。君が自分の曲に自信があるとか無いとか関係ない。価値がある曲かどうかは僕が判断する。楽曲はイメージだ。しかし、曖昧なイメージだけでは多くのオーディエンスに伝わるとは限らない。僕が君の持っているイメージを解釈する「文脈」を与える。解釈の道筋を提示するんだよ。僕たちの思いが、明確な形となって多くの人達に伝わるだろう。君がゴーストライターで、僕がそれを演ずる舞台の役者という単純なものではない。これは、木星彰と緑川拓磨のコラボレーションだ」
そう言って立ち上がり、表情を緩めた。
「まあ、やるかどうかは別にして僕のイメージを聞いてくれ」
木星の戸惑いも計算済みなのか、緑川は淡々と続ける。
「曲のタイトルは<ヒロシマの風>だ。組曲風に三部編成が良い。一部と二部は暗い。暗くていい。人々の叫びが聞こえてくる。炎と荒れ狂う風。やがて、何もかも燃え尽きて、風が去った後にはどこまでも続く廃墟が残る。コンクリートの土台だけが、吹き残った風に晒されて震えている。何の音も聞こえない。音も、すべての気配も失った空間に、やがて、静かに雨が降る。音のしない黒い雨が……。第三部は、今のヒロシマだ。平和公園がいい。八月なのに涼しい風が吹いている。風はドームの中をスーッと吹き抜けて川面を滑り、やがて雲一つ無い八月の空に吸い込まれていく。爽やかで、もの悲しい、そんな風景だ。それを曲にして欲しい。君ならそれが出来る」
木星は、緑川の語るイメージを描いてみる。脳の中に、浮かんでくる情景を隅々まで行き渡らせる。やがてそれが一つずつ音になる。まだ、確かな音階を持たないが、少しずつ情景に被さる。ピアノが、ストリングスが、無音の音を静かに奏で始めた。
翌日から、一日のほとんどをコンピュータと入力用の八十二鍵のキーボードの前で過ごした。木星の頭の中のイメージが少しずつ確かな音に変わっていく。それは、不思議なほどスムースにいくつもの旋律になる。ディスプレイの五線紙が無数の音符で埋められていく。音符の一つ一つが木星のイメージの欠片になり、ジクソーパズルのように一つの風景を形作る。僅かな食事と睡眠で、春休みのほとんどが費やされていく。
四月の二週目に緑川にメールを送った。
「君のイメージに合うかどうか分からないが、曲が出来た。データを添付したので、すぐに聞いてみて欲しい。感想を聞きたい。 木星彰」
もう緑川と対等なのだ。二人は共犯者なのかもしれない。どんな犯罪だ? そんなことは、もう、どうでも良くなった。自分が音楽を作り、緑川がそれを世に出す。たくさんの人々がそれを聞いてくれる。もう、それだけで十分だった。木星がずーっと思っていたことだった。木星の曲を聞いて涙を流す。笑顔になる。幸せな気分になる。心を振るわせる。音楽は本来、作曲者に依存するものではない。音楽はそれ自体が意味を持つものである。そして、それが全てだ。(つづく)
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コメント
なんか読んでいてドキドキしてきますね。
実際にあったあの事件に登場する二人に置き換えると読んでいると、どちらも「ペケ」という気がしてますねぇ。
投稿: くるたんパパ | 2014年5月28日 (水) 05時57分
ついに来たな、この瞬間...
小説では、どうなって行くのかな
この二人
世に出る可能性が低ければ、
ゴーストライターでも、
世に出る方が嬉しいのかなぁ。
それが延々続くと、
自分の名で..
と思うようになるのでしょうね。
投稿: casa blanca | 2014年5月28日 (水) 10時02分
くるたんパパさん
いつも読んでいただきありがとうございます。
この小説の限界は実話に縛られてしまうということだと思います。
やっぱり難しいですね。少し後悔しています。次のステップにしたいと思っています。
投稿: モーツアルト | 2014年5月28日 (水) 22時56分
casa blancaさん
いつも読んでいただいてありがとうございます。
>世に出る可能性が低ければ、
ゴーストライターでも、
世に出る方が嬉しいのかなぁ。
「世に出る」ということは、やっぱり魅力であり、やり甲斐でもあるのかな?って想像してしまいます。でも、自分の作り出したのが、自分のもので無くなるという疎外感はあるのだと思います。
この事件は僕にとっては、とても衝撃的でした。水面下ではたくさん有ることなのだと思いますが。
投稿: モーツアルト | 2014年5月28日 (水) 23時00分