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2014年6月11日 (水)

小説「春の訪れ」第7話

それからも木星(きぼし)はいくつかの曲を提供した。どの楽曲もメディアに取り上げられ、話題になった。緑川のプロデュースは完璧だった。

<現代に甦ったベートーベン> <「障害」を乗り越えて作曲活動!> <苦悩する天才作曲家 緑川拓磨> そして、どの見出しにも、孤独で、繊細な緑川拓磨の写真がついていた。それらを目にするたびに、木星は微妙に揺れ動く感情を意識するようになった。自分の作品が世に出て、称賛される喜び。それは、木星にも予想出来なかった高揚感、子どもの頃、担任に作文コンクールで最優秀賞だと言われた時の信じられない気持ちと充足感と似ていると思った。一方で、その作品が、まったく別人のものとして木星に対峙する。それは、自分から生まれたはずのクローンが親を見下すように感じる不快感なのかもしれない。メディアから称賛されればされるほど、木星の心に冷たい風が吹く。頑張れば頑張るほどその思いは木星の心を浸食する。それでも、木星は止めることが出来なかった。

ある秋の土曜日、木星は恋人の美憂(みう)と個室風の居酒屋で会った。音楽雑誌の編集をしている美憂から相談があるとのメールが入ったからだ。もちろんそうでなくとも、木星にはうれしいことだった。

いつものことであるが、遅れてきた美憂は少し濃いめのベージュのコートを脱ぐと

「遅くなってごめん。今日も仕事だったの。たまには締め切りを気にしないでのんびりしたい」

などと言い訳を言って椅子に座る。深緑のセーターの裾から出しているチェックのシャツが可愛いと木星は思う。

「緑川拓磨って知ってる? 今度、うちの雑誌で彼の特集を企画することになったの。そこで音楽に造詣の深いあなたのご意見を伺いたいと思ったの。今日は私の奢りよ」

そう言って、生ビールの長いグラスを持ち上げ、軽く乾杯の仕草をした。

「造詣が深いなんて言われると嫌みに聞こえるけど……で、どんなこと?」

ビールをひと口飲んでテーブルに置く。ビールの泡が少し崩れた。

「率直に言って緑川拓磨の楽曲ってどう思う?」

木星は、崩れたビールの泡を少しの間見つめながら握りしめた拳の汗を不快に思った。

「良いんじゃないか。<組曲ヒロシマ>は僕も好きな曲だ」

少し言葉が震えたと思った。

「あの曲は私も好きよ。彼の楽曲はとても良い。スーッと細胞に染みこんでくるようで、美しいし、とても癒される。でも、緑川拓磨本人はね……」

美憂は手に持ったグラスを見つめ、それを左右に傾けたりしながら

「何か、信用できないのよね。個人的に知っているわけでもないし、会ったこともないけど、何か、そう思う。これは直感ね。でも、今まで、人を判断する時の私の直感は間違ったことがなかったわ。あなたに対してもね」

そう言って、木星に小さくウインクした。木星は照れた振りをしながら言葉を選んだ。

「彼は、僕の学校の講師をしていて多少は知っている。人格まではよくわからないけど、優れた音楽プロデューサーだと聞いている。広島でのイベントで随分有名になったみたいだけどね」

「そうね。優秀なプロデューサーで作曲家でもあるし、テレビでもたびたび取り上げられている。ちょっとカリスマ的にね。でも、なんか引っかかるのよね。彼は、メディアの乗せ方が巧みだわ。あの繊細で陰のある風貌と、<障害を乗り越え>とか<広島での核廃絶>とか、<現代のベートーベン>とか、メディアが喜びそうなコンテンツが揃いすぎている。乗りすぎはメディアの悪い癖よ。今までの過ちが教訓になってないのよね。私は今回の企画は、冷静に取り組みたいと思っている。余分なファクターを取り除いて、事実だけを記事にしたいと思う」

木星は二杯目の生ビールを注文した後

「そうだね。その方が良いと思う。余分な修飾は必要ない。彼の音楽だけがすべてだと思う」

木星は辛うじてそう答え、つまみのサラダを口に入れる。セロリがいつもよりずっと苦かった。(つづく)

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コメント

実際の出来事(事件)も冷静に考えれば、

>ディアが喜びそうなコンテンツが揃いすぎている

と気がつくはずなのに…。

ホントは気がついていたけど、
視聴率を稼げる!
お金になる!
そんな考えの人達が、金儲けに走った結果ですね。

投稿: くるたんパパ | 2014年6月11日 (水) 20時10分

それにしても、
木星の恋人美憂の直観は鋭い

メディアへの露出が多くなると
やはり、化けの皮がはがれてくる
というか、何だか胡散臭いなと思う人も
出てくるのでしょうね。

木星の心中を思うと
セロリが苦いのも納得でした。


渦中の人を詳しく知らなかった私は、
生立ちを知り、凄い環境の中で曲を
作っているんだなぁと、すっかり
騙されておりました。(^。^;)

投稿: casa blanca | 2014年6月12日 (木) 10時10分

くるたんパパさん
すみません。すっかり遅くなってしまいました。申し訳ありません。

>そんな考えの人達が、金儲けに走った結果ですね。

僕もそう思います。同じようなことが何度か繰り返されているような気がします。でも、この事件もすっかりなりを潜めましたね。渦中の人は今はどうしているんでしょう?

投稿: モーツアルト | 2014年6月25日 (水) 12時01分

casa blancaさん
すみません。すっかり遅くなってしまいました。申し訳ありません。

>木星の心中を思うと
セロリが苦いのも納得でした。

何が真実か真実で無いかの判断は難しいのですが、人を見た時に、良い人だとか、何となく胡散臭いとか感じる感性が大事なのかなー?って思うときがあります。結局自分の感性を信じるしかないのなかって思います。
あっという間に季節が過ぎてしまって、気がついたら随分サボってしまいました。これに懲りず、またよろしくお願いします。

投稿: モーツアルト | 2014年6月25日 (水) 12時10分

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