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2014年6月 2日 (月)

小説「春の訪れ」第5話

暫く経って緑川からのREが入る。

「ほぼ完璧だ。特に第三部が良い。今回のイベントのテーマになる曲だからね。一部、二部と非常に対照的でどちらの良さも引き立てているようだ。この曲は私がピアノを担当する予定だ。シンプルだけど胸を打つ。レクイエムはシンプルで良いと思う。曲調がメジャーなのかマイナーなのか、そのどちらでもないのか? 実に面白い。ただ、主旋律が、君の作った通り、ピアノにするか、エレピアノにするか、少し考えさせてもらいたい。後、Aメロの出だしからストリングスが入っているよね。あれ、Aメロのリピートから入れて欲しい。ストリングスが美しい。まさに平和公園を通り抜ける、乾いた涼しい風だ。繊細で美しい音は、ここに眠る多くの魂を慰めてくれるに違いない。素晴らしいよ。今のところそれ位だ。早速、詳しい打ち合わせをしたい。また連絡する。 緑川拓磨」

緑川の感想は、木星が苦心し、そして、心を込めて作り込んだ核心に迫る、非常に的確なものだった。木星はそのことに驚き、緑川に強く惹かれた。

何度かの打ち合わせを経てCDが出来た。

<ーー「障害」を乗り越えて、ヒロシマへのレクイエムーー

作曲家でもある、音楽プロデューサー緑川拓磨氏がヒロシマへのレクイエムである「組曲 ヒロシマ」のCDを完成させた。緑川拓磨氏は極度の弱視と難聴という「障害」を持ちながら音楽活動を続けてきた。今回のCDは、緑川氏が企画して開催される平和コンサートに先駆けて発売される予定。「風化しつつある原爆の悲劇を思いだし、反核の強いメッセージと共に後生に伝えていきたい」と、氏の思いを語る。このCDは三部構成の組曲となっており、全ての曲を緑川氏が作曲し、広島市のオーケストラが演奏した。CDやコンサートの収益の一部は広島市に寄贈される予定だ>

六月に入って間もなくの新聞記事だった。

Tシャツにパジャマのズボンのまま、ドアポケットから新聞を取り出し、少し汗ばんだ額を首に掛けたタオルで拭く。キッチンの椅子に座り、新聞を広げる。煎れたてのコーヒーの香りが、新聞のインクの臭いと重なり合う。木星はコラムの記事を見て、思わず新聞に顔を近づけた。薄い色のサングラスを掛けた長髪の緑川拓磨の顔がそこにあった。

「極度の弱視と難聴? 『障害』を持ちながら音楽活動を続けてきた?」

強ばっていた顔が少しずつ緩んできた。なるほど……。少し苦いコーヒーを口に含んで呟いた。

 

木星はのぞみからホームに降りる。急激な温度差に身体中の神経が萎え、急速に力を失い、汗すら出てこない。もう少し気温が低いと汗も出るのかもしれないと思う。八月に入ったこの日に、木星は広島の駅に着いた。空を見上げるまでもなく、雲一つないことはわかる。飽きるほど日差しを浴びたタクシーがのろのろと木星の前で止まった。ドアが開くと、中から冷たい空気と、タクシー独特の疲れた臭いがスーッと木星の身体に纏わり付く。カバンを放り込み、白い布のシートカバーに座る。萎えていた神経が少しずつ息を吹き返す。

「広島ロイヤルホテルまで」

heiwakouen

そう言って目をつぶる。今日は緑川拓磨のプロデュースする「ピースコンサート・イン・ヒロシマ<ヒロシマの風>」の日だ。ひと月前に緑川から特別席のチケット数枚と、新幹線のグリーンのチケット、ホテルの宿泊券が届いた。恋人の美憂は誘わず、一人で来た。18時の開演まで数時間ある。木星はかなり広いツインのこの部屋で少し寛いでから平和公園に向かうことにした。(つづく)

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コメント

あの事件は、時間が経つにつれて、
彼の売名行為だったのでは…。
と思うようになりました。
そんな風に書いているマスコミもありましたが…。

彼と言うのは、某音楽大学の講師の方です。

建築家がイメージを作り、
実際に図面にするのは、どの弟子達。

音楽の世界以外にもあることなのかも…think

なんて思ってしまいます。

投稿: くるたんパパ | 2014年6月 3日 (火) 05時32分

はがゆい思いをしながらも
世に出るチャンスにかける
売れたら売れたで、
無欲ではいられなくなる

自分の実力を試してみたい気持ちと
世間を欺いてることへの罪悪感と

こういう気持ちになることを
想像できなかったのか...
それが人間の弱さなのかも。

プロデュースの仕方で、
売れる売れないもあるから、
実力かどうかの判断って
難しいような気もします。

投稿: casa blanca | 2014年6月 3日 (火) 07時13分

くるたんパパさん
いつも読んでいただいてありがとうございます。

>建築家がイメージを作り、
実際に図面にするのは、どの弟子達。

そうですね。いろんな業界にもあり得ることですね。オリジナル、あるいは著作権という観点から見て誰のものかという線引きは難しいと思います。
この話は、皆さんの意見も踏まえ、いずれ、構成をし直したいと考えています。

投稿: モーツアルト | 2014年6月 3日 (火) 10時38分

casa blancaさん
いつも読んでいただいてありがとうございます。

>自分の実力を試してみたい気持ちと
世間を欺いてることへの罪悪感と

もし、自分がそういう立場だったらどうだろう?という興味から書き始めたのですが、なかなか難しいです。もし、これほどメディアから取り上げられなかったらどうだったのか?などとも考えてしまいます。

>プロデュースの仕方で、 売れる売れないもあるから、実力かどうかの判断って難しいような気もします。

そうですよね。逆に言うと、実力があっても売れないことの方が圧倒的に多いのかもしれません。でも、実力って何なんだろうななんて考えてしまいます。

投稿: モーツアルト | 2014年6月 3日 (火) 10時45分

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