小説「春の訪れ」第8話
2011年3月11日、東北の沿岸を中心にした大震災が起こった。そして、三年後の今年の三月。緑川拓磨は震災による多くの犠牲者に捧げる鎮魂の曲<レクイエム「春の訪れ」>を発表した。
「震災からひと月経って、ようやく大阪からの臨時便が飛ぶようになりました。私は、大阪での活動を終えて、伊丹から仙台行きの便に乗りました。いつもならば、静かに流れているはずのBGMも無く、乗客も無言のままでした。飛行機が仙台空港の上空に差し掛かると、蒼い海が穏やかに、どこまでも広がっていました。小さな波が日差しを浴びて、無数の真珠のように輝き、美しさのあまり、僕の魂がそこに吸い込まれて行くようでした。しかし、海岸から内陸部にかけて、本来有るべきものは何もありませんでした。家も、木々も、人々の生活も……。何もかもです。それらに代わるように、波に流され、破壊された夥しい生活の痕跡が至るところに積み上げられていました。僕は飛行機の窓に顔をつけ、呆然とそれらを見つめ続けることしか出来ませんでした。機内の所々から小さなため息が聞こえ、やがて飛行機は、そこだけ片付けられた一本の滑走路に静かに降り立ちました。滑走路のすぐ横に積まれた泥まみれの漂流物にセスナが頭から突き刺さっていました。気がつくと僕の顔はぐしょぐしょに濡れていました。気圧のせいか、眼にハンカチを当てて、鼻を啜る音がどこか遠くから聞こえてくるようでした。でも、その後に訪れた被災地と比べると、これはほんの序章に過ぎなかったのです……」
緑川拓磨の新作発表の会見はそれから暫く続いた。木星はテレビを見ながら、同じ日程で訪れた東北の被災地の様子がいくつもいくつも頭の中で再現された。木星も飛行機の中で緑川と同じ思いだった。飛行機を降りてバスに乗り、まだ復旧されていないアクセス線の駅の側を通り、仙台に向かう途中の光景が甦ってくる。バスから外を見ると海が異様に近かった。バスと海を隔てる何物も存在しなかったからだ。そして所々に、城壁のように積み上げられた無残に破壊された、人々の営みの痕跡。バスの乗客は皆、押し黙り、窓に顔を押しつけるように外の風景を眺めていた。
テレビの会見が続いている。緑川拓磨は、その繊細な指先をメガネの下から目頭に当て、少し沈黙した後
「震災から三年目なろうとする今になって、ようやく楽曲を創る気持ちになれました。被災地は未だ復興が進んでいません。3.11を風化させてはならない。この楽曲を多くの人に聴いて貰うことによって、復興のエネルギーを再結集させたいと強く願っています。皆さん、三.一一は決して終わってはいません」
そう言って、テレビカメラを真っ直ぐ見つめる緑川にカメラのフラッシュが一斉に焚かれた。いつまでも続くフラッシュの音と光の中を緑川はゆっくり立ち上がり会場を立ち去った。
木星はリモコンでテレビを消してからも、何も映っていない黒い画面を見つめ続けた。まるでそこに、無数のフラッシュを浴びる木星自身の姿を見つめているかのように。確かに緑川は被災地を訪れた。しかし、現場での撮影が終わると早々に東京に戻った。会見で話した被災地の様子とその思いは木星が彼に話したものだった。「なかなか良い話だ。絵になるね」そう言ってクスッと笑った。
木星は大きなため息をついて立ち上がり、「仕事部屋」と決めているコンピュータや楽器の置いてある部屋のドアを開け、胸に湧き出てきた思いをぶつけるように激しくドアを閉めた。
◆
去年の秋口に緑川から仕事の依頼があった。緑川はおおよそのモチーフを話し、「後は君にまかせる。期待しているよ」と言っただけだった。木星にとってもその方が都合が良かった。三年前に東北の被災地を訪れた時から、構想は出来ていた。後は具体的にひとつ一つ音符にしていくだけだった。しかし、すぐには曲を作ることは出来なかった。衝撃があまりにも深過ぎた。二年目にようやくぽつぽつと曲を書き始めた。そして、緑川から依頼があって、本格的に曲作りに入った。理髪店に行って、髪を短く整えて貰い、丁寧にヒゲを剃る。仕事が終わると、すぐに自宅に戻り、簡単な食事を済ませ、後の大半の時間はコンピュータの前で過ごした。作業は深夜に及ぶこともあった。木星の頭の中には、今書いている楽曲の世界しか存在しなかった。木星が訪れた被災地のひとつ一つを、そこで出会った人々の思いを再現し、楽譜を通して再構成する。大槌町の、月光で白く照らされた無数の車の残骸。南三陸町の防災対策庁舎跡の鉄骨から見えた歪んだ太陽。陸前高田市の一本だけ残った松を見上げていた老人。その松の向こうに広がる海はただただ穏やかで静かだった。首に巻かれたタオルと固く握られた汚れた軍手がブルブルと震えていた。木星は一息つくと、いつも窓を開けて空を見上げる。群青色の空が東北の震える空と繋がる。暫くじっと見つめ、静かに窓を閉めて再びコンピュータの前に座る。そんな日が数ヶ月続く。そして、冬休みの二週間。一時間のジムでのトレーニングと、最小限度の食事の時間や入浴などのルーティン以外この部屋で過ごして、楽曲の最終仕上げをした。タイトル「春の訪れ」20分に及ぶ長い楽曲である。例え「作曲者 緑川拓磨」というクレジットが付こうと、木星はこの楽曲を創りたかった。その強い思いを押さえることは出来なかった。(つづく)
◆
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コメント
陸前高田市の一本松、実物を見ましたが、
樹木生命力を感じましたよ。
髙田松原といえば、岩手では有名な観光地でした。
海水浴客も多かったところです。
「千の風になって」で知られる新井さんは「7万本の松は一つの家族で、一致団結して守ったので一本松が助かった。」と語っていました。
奇跡ですよね。
小説に関するコメントではなくてすみません(^0^;)
投稿: くるたんパパ | 2014年7月 2日 (水) 05時43分
「春の訪れ」を書くきっかけになった
あの方もTVに顔を出していたようですが、
どんな気持ちで出ていたんでしょう。
作り上げた偽物の自分
いつかバレると思わなかったのか、
何より被災地でのあの行動は何だったのか
良心の呵責は無かったのか、
天罰が下ったからそれでよし
では終われない出来事でした。
影武者だったN氏、
自分の曲が有名になると
多少の欲も出てきたでしょうけど、
それよりも、偽り続けることの
自責の念が強かったのでしょうね。
申し訳ない気持ちと同時に
解放されたいという気持ちも
強かったのではないでしょうか。
投稿: casa blanca | 2014年7月 2日 (水) 08時40分
くるたんパパさん
いつも読んでいただいてありがとうございます。
小説の直接のコメントじゃなくて全然構いませんよ
>陸前高田市の一本松、実物を見ましたが、
樹木生命力を感じましたよ
やっぱりそうなんですね。僕は直接は見ていないのですが、何だかそんな気がします。破壊するものと残る物。自然の力ってやっぱり凄いものなんですね。
投稿: モーツアルト | 2014年7月 2日 (水) 22時46分
casa blancaさん
いつも読んでいただいてありがとうございます。
>申し訳ない気持ちと同時に
解放されたいという気持ちも
強かったのではないでしょうか。
そうなんだと思います。実際のところは分からないので、あくまでも想像ですが……。
この作品については、毎回「どうしようかな?もう途中でやめようかな?」なんて思いながら出しています。まったく想像で書いているのですが、やはり実際の出来事が大きすぎて、小説なんて吹っ飛んでしまいそうです。やっぱり、実際にあった出来事を小説にするにはそれなりの覚悟がいるようです。
かなり反省しています。
投稿: モーツアルト | 2014年7月 2日 (水) 22時53分