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2014年7月 7日 (月)

小説「春の訪れ」最終話

木星はイスに座り、気持ちを落ち着けようと目をつぶる。暫くして、コンピュータを起ち上げ、「春の訪れ」とタイトルされたファイルをクリックする。Boseのスピーカーをブルっと震わせながら、コントラバスの重低音が流れ出す。やがて高音のストリングスが加わる。スピーカーから様々な音符が流れ出し、木星の部屋の隅々までを音符で満たし始める。重い波のうねりのようなコントラバスと、細く鋭い風のように吹き流れるバイオリンやチェロの音。いつしかピアノのバッキングがそれらをあおり立てるように力強くたたみ込む。大きく波が崩れると、一転してハープの軽やかなアルペジオに変わり、ピッコロとフルートの軽やかな二重奏になる。それはまるで春の日差しの中を飛び回る二羽の蝶のようでもあった。蝶がモザイク状にふっと消えてしまうと、スライドがゆっくり切り替わるように、黒い雲が春の日差しを浸食し、重いストリングスに変わる。

木星は、音で満たされた部屋のイスに座り、目を閉じたままこの世界を味わう。ここで聞く、この音達だけが木星彰の音なのだ。ひとつ一つの音を深く味わいながら、音の響きの中に埋もれる。木星の心も身体もこの音達と一つに溶け合って一体となる。そして、その奥底から湧き上がる一つの意志、怒りが、木星を突き上げる。木星は決心した。

ポケットからケータイを取り出し、この気持ちが萎えてしまわない内に、ひとつ一つの言葉を確かめるようにメールを打った。

 

美憂と会うのは久しぶりだった。美憂が木星の部屋に来るのはもっと久しぶりだ。

「相変わらずきちんと片付いたお部屋ね」

指でキッチンのテーブルを撫でて、それを見ながら挨拶がわりに言う。テーブルの上の小さなゴールドクレストと同じ黄緑色の、いかにも軽そうなコートを脱いでイスの背もたれに掛ける。

「ホントに久しぶり。忙しかったみたいね」

そう良いながらイスを引いてフワッと座る。そこだけ春が来たように、少し華やかになる。白いブラウスとレモン色のセーター。細いジーンズの足を軽く組んで背もたれにもたれ

「どうしたの? 何か大事な話があるみたいね」

美憂はそれほど長くない右側の髪を、細く長い指で、耳に挟みながら訊ねた。彼女がちょっと緊張している時の癖だ。木星はその表情が好きだった。右側のうなじが露わになる。綺麗だと思った。

「とても言いにくくて、君にとってはあり得ない話かもしれない。僕も誰にも言わないつもりだった。でも、もうそれは出来なくなった。君にだけはどうしても話して置きたいと思った」

木星は美憂の向かいの椅子に座り、小さなゴールドクレストを見ながら話し始めた。緑川拓磨との出会いからこの春のことまでを、ほとんどはゴールドクレストに話しかけるように。そして、話の区切りには美憂の顔を見た。たぶん、自分の顔が歪んで醜く見えているのではないかと思った。美憂はひと言も口を挟まず、ただ、木星の動く唇をじっと見ていた。

「僕は、この事を世間に明らかにしようと思う。明日、緑川に伝える。その前に君に話して置きたかった。君は僕の恋人でもあるし、音楽雑誌の編集者でもある。だから君に書いて貰いたい」

木星は美憂の目を見ながら言った。美憂は木星の顔を見た後、ゴールドクレストに向かって小さいけど、深く長いため息をついた。それからもう一度木星の目を見て言った。

「私も多少なりとも音楽に関わっているから、あなたの気持ちは良く分かる。あなたの創ってきた音楽もとても好き。プロの作曲家とは違う何かがある。そして、静かで優しい響きに私は癒されてきた」

テーブルに置かれた美優の指先が少し震えていた。少しの間目を閉じてから、立ち上がり腕を組んで言った。

「でも、あなたは間違っていた。あなたの楽曲が世に出て、たくさんの人に聞いて貰えることはとても素晴らしいことだと思う。でも、そんな形で世に出ても、あなたの大事な音楽が損なわれてしまう。緑川の下らないパフォーマンスの装飾品にさえなってしまうのよ。いえ、音楽だけではない。あなた自身も深く損なわれてしまう」

極力感情を抑制しながら話しているのだろう。途中何度か咳をした。しかし、それだから余計に鋭く美憂の言葉が突き刺さる。

「あなたの言うように、すぐに公表すべきよ。世間の反応はかなり厳しいと思う。大きな話題のない今、メディアにとってはとてもありがたいニュースになると思うし、多くの記者が取材に押しかけると思う。でも、あなたにはそれを受け入れる覚悟はもう出来ているのよね。でも、それはとても大変なことだと思うし、一人ではとても支えきれない」

美憂はもう一度イスに座り小さなため息をついてから、

「でも、忘れないで。あなたには私がいる」

木星の顔を真っ直ぐに見て美憂が言う。少し間を置いて、木星の大好きな柔らかい眼差しで訊ねた。

「でも、何故今、そう決心したの?」

「ずーっと僕の心の中にあったんだと思う。昨日の緑川の新作発表の会見を見て決心した。僕は許せなかった。彼はうっすらと笑って『なかなか良い話だ。絵になるね』と言った。彼にとってはあの大震災も、心の痛みも伴わないイベントの一つだったんだ。もう終わりにすべきだと思った」

木星を見つめる美憂の瞳に、赤く歪んだ木星の目元が映った。美憂は無理に笑顔を作って

「あなたの音楽をゴーストのままにしておいてはいけない。きちんと成仏させなきゃね。私に話してくれてありがとう」と言って立ち上がり、木星の頭を抱いて頬をすり寄せた。

美憂が帰った後、木星は、美憂の匂いがわずかに残るベッドに顔を埋め、しばらく動かなかった。そして、部屋を出て、仕事部屋に入ると、コンピュータを起ち上げ、「春の訪れ」を聞いた。ピアノだけの、シンプルで憂いを含んだテーマが流れた後、小太鼓の軽快なリズムに乗ってフルートとクラリネットの二重奏が雲間から束の間漏れてくる春の日差しのように地面を飛び回る。そして、再び日差しが閉ざされ、薄く、暗いストリングスのスクリーンで覆われた。でも、その薄いスクリーンの向こうには、明らかに春の兆しが感じられた。

木星は立ち上がり、窓を開けた。風にながれる桜の花びらの向こうに、夕日に照らされた満開の桜があった。薄いピンク色の花びらを透かして、今、夕日が静かに落ちようとしていた。(了)

 

<参考楽曲>

「春の訪れ」

https://www.youtube.com/watch?v=iU-BGOChoW4

「風、八月の空に」(ヒロシマの風)

https://www.youtube.com/watch?v=fSvJFU86COQ

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コメント

楽しく読ませていただきました。

そして、あの事件をあらためて考えさせられました。
あの事件のあともGACKTさんが同じような疑惑で話題になりましたが、あっという間に消えてしまいました。

例の事件はやはり「震災」が絡んでいたから、こんな大騒動になったのでしょうね。

マスゴミと呼ばれるマスコミ関係者の責任も大きいとあらためて感じました。


投稿: くるたんパパ | 2014年7月 8日 (火) 04時56分

木星には、美憂がいて良かった。
最終話、どうなるのか心配でしたが、何だかホッと胸を撫で下ろすものになっていて救われました。(^。^;)ホッ!

>彼にとってはあの大震災も、
>心の痛みも伴わないイベントの一つ...

N氏も同じように思われたのかもしれないですね。そして、人としてしてはいけないことだと、S氏に対して許せない思いになり、あの行動に出たのかも。そうであって欲しいです。N氏は、震災で傷ついた方々の心を癒すために書いた曲でしょうからね。

投稿: casa blanca | 2014年7月 8日 (火) 07時58分

くるたんパパさん
お忙しいのに最後まで読んでいただきありがとうございました。毎回のコメント感謝しております。とても参考になりました。
元々、「音楽を文章でどう表現できるのか?」という、僕にとっても実験的な試みから出発したのですが、うまく文章化出来たのか、こころもとありません。それと、この種の事件先行型小説は事実に大きく左右されるのでなかなか難しいことに途中で気がつきました。

>あの事件のあともGACKTさんが同じような疑惑で話題になりましたが、あっという間に消えてしまいました。

そうなんですか、やっぱり同じようなことが結構あるんですね。今は何事も無かったかのようにまったく話題にもならないのが不思議です。

投稿: モーツアルト | 2014年7月 8日 (火) 10時06分

casa blancaさん
お忙しいのに、最後まで読んでいただいてありがとうございました。毎回のコメントもとても参考になりました。

>木星には、美憂がいて良かった。
最終話、どうなるのか心配でしたが、何だかホッと胸を撫で下ろすものになっていて救われました。(^。^;)ホッ!

そう言っていただけると、僕もとてもホッとします。casa blancaさんが「後味の悪い結末にならないといいな」と仰っていたので、最初に考えていたプロットを変更しました。良かったですhappy01
「春の訪れ」を書いてみて、この種の小説はやっぱり難しいなーってつくづく思いました。

最初の課題であった、自分の作った楽曲を元に、音楽を文章化することが成功したのかどうかは、何度読み直しても自分ではわかりませんでしたcoldsweats01
しばらく間を置いて、次の小説に取りかかろうと思います。ご迷惑だと思いますが、また読んでいただけたら幸いですhappy01

投稿: モーツアルト | 2014年7月 8日 (火) 10時18分

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