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2015年9月21日 (月)

小説 かげろふ ー二度目の夏ーその2

「帰ってきたんだ?」

「お久しぶりです」

まったく日焼けをしていない白い肌で、あの時と同じ優しい笑顔を作った。

「お変わりありませんでしたか?」

いつの間にかセミの音が止んでいた。結羽の声だけがこの空間の音になる。

「君のお陰でもう一度仕事をやる決心がついた。簡単にリセットする訳にいかないからね」

「そう。それは良かったわ。あなたはそうすると思っていた」

「修論はもう済んだかい?」

それには答えず、フッと笑って空を見上げた。朝の白い月が雲の一つのようにぼんやりと浮かんでいた。

「あなたに会いたかったの。ずーっと、そう思っていた」

「向こうの生活はどうだい?」

「とても穏やかに過ぎていくわ。邪悪なものは何も無い」

予想通りの答えに安心した。

「邪悪なものはどこに行くんだろう?」

「私達の世界とは違うどこかね。閉ざされた世界」

「来年も会えるかな?」

「あなたが私を忘れない限り会えるわ」

「忘れないよ。君はいつだって僕の中に居る」

「ありがとう。私はそういう<想い>の中に生きているんだと思う。一人ひとりの<想い>の点を結んで私は生きていける。だから覚えていて欲しい。例えそれが辛いものであったとしても」

白い月が、途切れた雲の間からまた出てきた。淡く消えてしまいそうに儚くて、でも決して消えることはないんだと、僕は考えていた。

「あなたの番組が見たいわ」

「番組編成の都合で時期が随分ずれたけど、今度放送されるよ。深夜だけどね。君は見ることが出来るかい?」

「深夜は得意なの」

結羽が僕を見て笑った。その笑顔はとても穏やかだった。

「前に居た大手の放送局と違うから予算は少ないけど、何回かのシリーズで放送できる。三年前のJRの事故もその一つだ。被害者や遺族の方々の声をたくさん伝えたいと思っている。それが僕のやるべきことだと思う」

結羽は黙って杜を見ていた。凪いだようにセミの声は聞こえない。

「あれからもたくさんの理不尽な死があった。僕らはそれをどうすることも出来ないんだろうか?」

「どうすることも出来ないのかもしれないわ。でも、あなたの言うように、それを伝えることは出来る。そうすることで救える命があるかもしれない」

「……そうだと良いね」

「聡美さんはお元気?」

「ああ、元気みたいだ。今も時々電話が掛かってくる。時々飲みにも行く。とっくに別れた元女房なのにね」

「私も聡美さんに会ってみたい」

「驚くだろうな。でも、いつか会えると思うよ」

結羽はそれには答えず、小さな声で何かのメロディーを口ずさんだ。バラードではあるが、不思議なメロディーだった。聞いたことのないメロディーなのにどこか懐かしい。単調なのに深く胸に沁みる綺麗なメロディだった。僕は目をつぶって歌詞の無い歌を聞いた。

目を開けると、凪いでいた風が歌のハーモニーのように結羽の髪を梳いていった。杜の風は真夏の風と思えないくらいひんやりと心地よかった。

「何の歌?」

「小さい頃に母に教えて貰ったの。賛美歌の一種かもしれないわ。でも、本当はこんな歌では無くて、いつの間にか自分で気に入ったようにアレンジしたのかもしれない。でも、このメロディーを歌うと気持ちがとても落ち着く。母親の胎内に居る時ってこんな感じかもしれないわ」

「君だけじゃなくて僕も安らぐ。そういう歌ってあるんだね」

その歌によって、結羽と最も深い所で気持ちが繋がるような気がした。

「もっと歌って欲しい」

僕が言うと、結羽はフッと笑って歌を続けた。もう一度目をつぶりそれを聞いた。僕は何も無い空間に漂っている。聞こえるのは結羽の歌うメロディーだけだ。ここは母親の胎内かもしれない。それとも、隔てる物が何もない銀河なのかもしれない。僕は何も考えず、何もせずただそこを漂っている。

突然クマゼミが鳴き出した。僕は静かに目を開ける。朝日が作る椋の木の陰が一層濃くなっていた。

「そろそろ帰ります」

結羽はスカートの後ろを軽くたたいて、オレンジの日傘を取った。それから雲の無くなった空を見上げて眩しそうに日傘を開く。結羽の日傘は、ここに来るときに見た向日葵のように僕を見ていた。

himawari

「聡美さんによろしく」

日傘の中でそう言って笑った。僕も笑って頷く。

彼女は、本殿の横手の坂道を降りていった。僕は、ぼんやりと後ろ姿を見送る。

日傘を少し揺らしながら坂道を降りていく。足下と腰が見えなくなり、やがて傘だけになる。突然、傘が小さな粒状に弾けて消えた。そこは夏の空と雲だけになった。

僕はペットボトルのお茶を飲んで、立ち上がり、歩き出す。(つづく)

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コメント

一年ぶりの菅原神社。
やっぱりクマゼミが鳴いているのですね。

朝日が色を失って、モノクロの空間が広がり、非現実の世界の扉が開いたのでしょうか。

結羽のことを知ってしまった主人公は、これから、どんなふうに彼女と接していくのか、興味がわきます。
とても楽しみです。

投稿: 三日月猫 | 2015年9月22日 (火) 13時22分

三日月猫さん
10枚位のとても短い小説です。この夏、急に続編を書きたくなって書きました。特に何も起きない物語なのですが、続編を書いて何だかすっきりしました。今度は冬バージョンも良いかななんて思っています。クリスマスに結羽と再会……なんてね。

投稿: モーツアルト | 2015年9月22日 (火) 16時45分

おはようございます。

風景が思い浮かびますよ

今年は残暑も厳しくなく、あっというまに秋になりましたね。

なんか1ヶ月前の夏の日がなつかしく感じられます。

小説の中に「スカート」が登場しますよね。
その「スカート」がとても清純で憧れていた女性をイメージしてしまいます。

投稿: くるたんパパ | 2015年9月23日 (水) 07時55分

文章読んでるとイメージ広がりますね〜。でも挿入されているカットが目に入ってくると豊かなイメージの広がる文章が一瞬固まってしまうような気がします。あくまでも個的な感覚なのであたらないかもしれませんが。

投稿: kaku | 2015年9月23日 (水) 11時25分

前回の「陽炎」から「かげろふ」に
なったのですね。

坂を上ってくる結羽の日傘が
徐々に見えてくるところ
前のお話にありましたよね。
今回の第一話は、
坂を下って行くシーンで終わりとは
これは意図的?

次回も楽しみです。

投稿: casa blanca | 2015年9月23日 (水) 15時37分

くるたんパパさん
読んでいただいてありがとうございます。
初回を2回目に上書きしてしまいました。
ちぐはぐになって申し訳ありません。

本当に、あの暑かった夏が嘘のように思えます。随分前のように思えてしまいますね。

「スカート」のイメージ、そうなんですか。読んでいただいた方が独自のイメージを思い浮かべていただくというのがとても嬉しいです。
ありがとうございます。

投稿: モーツアルト | 2015年9月23日 (水) 22時15分

kakuさん
1回目をその2で上書きしてしまいました。ちぐはぐになって申し訳ありません。

カット、確かにそうかもしれません。
要らないですね。

この夏、1年ぶりに続編を書きたくなりました。何だかすっきりしました。
よかったら続きも読んで下さい。

投稿: モーツアルト | 2015年9月23日 (水) 22時18分

casa blancaさん
読んでいただいてありがとうございます。
1回目をその2で上書きしてしまいました。ちぐはぐになって申し訳ありません。

前回の話を覚えて下さっていてありがとうございます。

>今回の第一話は、
坂を下って行くシーンで終わりとは
これは意図的?

今回の話は10枚位の短い話なので、ちょうどここが区切りが良いので、切りました。特に意図的にではないのですよ。
次回(3回目)で終わりになります。良かったらまた読んでいただけたら嬉しいです。

投稿: モーツアルト | 2015年9月23日 (水) 22時26分

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