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2017年5月21日 (日)

真夜中の声(後編)

翌日の晩も同じ時刻に歌―もう歌と言って良いと思う―が聞こえた。やはり風が吹いていた。その風に乗るように外から聞こえてくるのだ。

僕は今日こそはその歌を確かめようと思っていた。外出用のパーカーを着て、LEDの懐中電灯も用意していた。出来るだけ音を立てないように静かに家を出た。

外に出たとたん、ブルッと身震いした。僕はパーカーのファスナーをきっちり一番上まで上げ、フードを被った。歌は微かだが、近くの公園の方から聞こえてきた。

タバコの自動販売機の前で時計を見る。二時三十分丁度だった。人はもちろん、車さえ通らない。満月に近い月がぽっかりと浮かび、辺りはそれ程暗くなかった。

カサッと物音がして僕はドキッとした。雉ネコがこちらを向いて小さい声でニャーっと鳴いた。赤い小さな舌が見えたような気がした。

公園に着くと、そこは淡い桜色で満たされていた。桜の木は黒く、その上に白に近い淡いピンクの花びらが中空を埋め尽くしていた。その一つ一つの花が風に揺れ、枝から離れて桜色の風になる。

群青色の空には灰色の雲がかかり、歪んだ月が時折顔を出す。僕はその桜色の風の中に居た。何も考えずに、ただその中に居た。歌声が風の中から聞こえている。リベラの少年達の歌声のようにも聞こえた。

それは、桜の花びらが歌っているように透明で不確かな歌だった。どこの国の言葉でもなく、スキャットでもない。僕は風と歌声の中に立ち尽くし、動けなかった。

突然、枝が大きく揺れ風が鳴った。花びらと小さな枝が宙を舞う。僕の胸がザワっと騒ぐ。無秩序に舞っていた桜色の風はやがて一つにまとまり、まるでそこに道があるかのように、大きく螺旋状に舞い上がっていった。

雲が途切れ、月の明かりがぼんやりと辺りを照らし、誰も居ない滑り台が闇の中に浮かんだ。その時、僕は突然気がついた。何故歌が聞こえたのか、何故ここに来なければならなかったのかを。

 

僕は急いで家に帰った。風も止み、歌声も聞こえなくなった。誰も居ない通りを歩く。いつの間にか僕は泣いていた。その涙を止めることは出来なかった。もう、僕には分かってしまった。家に帰ればどんなことが待っているかも……。

静かに玄関のドアを開け(いや、静かにする必要もないのだが)家に上がる。和室の隅に置かれた小さな仏壇の前に立つ。電気を点けなくてもちゃんと見える。

白い布の掛った台の上に僕の写真と白木の位牌があった。そして、その側に僕の大好きだったクリスタル・ガラスの小さなピアノが置かれていた。あの歌と同じ旋律を奏でるオルゴールだ。

そう、あの日、金曜日の晩だった。2時22分、突然だったんだと思う。あと何日かしたら公園の桜が見られるというあの日に……。(了)

yozakura

(※画像はウェブサイトから拝借しています)

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コメント

モーツアルトさん。

なんと言う結末…
全く予想してないことでした。
夢に出てきそうです。

昔読んだ、星新一さんのショートショートの
読後感を思い出しました。

投稿: a-kaki | 2017年5月22日 (月) 00時49分

ああ、こういうことだったんだ。
突然逝ってしまったら、こういうことって
あるかもしれないですね。

死んでいる者には見えているけど
生きている者には見えない
もどかしさ
ブルースウィリスの
シックスセンスを思い出しました。

投稿: casa blanca | 2017年5月22日 (月) 08時27分

モーツアルトさん

 とても素敵な作品になりましたね。

 そうだった、ブルースウィルスの『シックスセンス』もそんな感じだったと思い出しました。面白くて心に残る映画だったのに、casa blancaさんのコメントを拝見するまですっかり忘れていました。人の記憶って結構脆弱ですね。それとも、私だけかな。

 時間ができたら、ツタヤで借りてもう一度みてみたいです。

投稿: びーのえむ | 2017年5月22日 (月) 10時15分

螺旋状に舞い上がった桜色の風、冥界あるいは宇宙のどこかへ吸い込まれて行ったのでしょうか。この場面のイメージがとても好きです。本人が知らないうちに死んでいる死がテーマだと聞いて、自分はどんな死を迎えるのだろうかとかチョット考えたりもします。

投稿: kaku | 2017年5月23日 (火) 11時43分

a-kakiさん
読んでいただいてありがとうございます。
途中までどういう結末にするか考えないで書いた小説で、後半を書いているうちにこの結末にしようと思いました。

>昔読んだ、星新一さんのショートショートの
読後感を思い出しました。

良い読後感だと良いのですが……。

投稿: モーツアルト | 2017年5月23日 (火) 14時20分

casa blancaさん
読んでいただいてありがとうございました。
結末を考えずに書いていて急にこの結末を思いつきました。
「シックスセンス」はタイトルは聞いたことがあるのですが、見たことはありませんでした。気になります。ツタヤで借りてこよーっと!

投稿: モーツアルト | 2017年5月23日 (火) 14時23分

びーのえむさん
読んでいただいてありがとうございました。
良いアドバイスをいただいてありがとうございました。お陰様ですっきりした仕上がりになったように思います。

>時間ができたら、ツタヤで借りてもう一度みてみたいです。

僕も是非一度見てみたいです。何だかワクワクします。時間が出来たらツタヤに行って来ます。

投稿: モーツアルト | 2017年5月23日 (火) 14時27分

kakuさん
読んでいただいてありがとうございました。

>螺旋状に舞い上がった桜色の風、冥界あるいは宇宙のどこかへ吸い込まれて行ったのでしょうか。この場面のイメージがとても好きです。

ありがとうございます。とても嬉しいです。
この表現、削除しようと考えたこともあったのですが、kakuさんと同じような感想を言っていただいた方が居られて、削除するのを止めました。今では良かったと思っています。

>自分はどんな死を迎えるのだろうかとかチョット考えたりもします。

僕もこの掌編を書いていて考えました。

投稿: モーツアルト | 2017年5月23日 (火) 14時34分

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