日記・コラム・つぶやき

2022年1月 2日 (日)

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。

気づけば、日替わり英会話本、今年で何巡目のなるんやろ? でも、頭の中にはほとんど残ってないのが残念。

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2021年4月16日 (金)

あれこれ


このまえ遭遇した「アシダカグモ」なのだけど、あれから全く見かけない。どうしたのだろう? 何だかとても気になる。

相変わらず、ピアノの裏でひっそり暮らしているのだろうか? それとも、「もう食べ物がないから、どこかよその家に行こうか」などと思い、家から引っ越したのかもしれない。そう言えば、僕の部屋には、まだゴキブリもムカデも居ないだろうから食べ物がないと思う。さらに、ジジ(♀黒猫七歳)も居るので、結構うっとうしいと思っているかもしれない。食べられはしなくとも、じゃれて悪戯されるかもしれないと思っていると思う。何だかちょっと気になる。

しかし、「大丈夫です。まだ居ります」と言われて、ひょいと出て来たりするのも困る。やはり、ひっそりと何処かに隠れていて欲しい。

関係ないのですが、今日は大阪の谷六という所のお寺の塀で「ジャスミン」の花を見た。友人に教えてもらったのだけど、とても良い香りがする。花もなかなか綺麗だ。当たり前だけど「ジャスミンティー」と同じ香りだ。何だかとても癒される経験だった。ジャスミンの花は初めて見た。もし、教えてもらってなかったら、側を通っても「何だか良い香りがするなあ」程度で気付かずに通り過ぎていたと思う。良い一日だった。

 

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2021年4月 8日 (木)

日記の効用

確か、4月に入って2回病院に掛かったはずだと思っていた。4月に入ってまだ一週間位のことなのに。

その領収書が必要なので探した。一つは見つかったのだけど、もう一つが見つからない。結局見つからなくて、寝床に入り、日記をつけた。ついでに、4月に入って一週間分の日記を読んでみた。病院は1回しか行っていなかった。3月の後半にも1回行っていた。僕が探していた領収書はその時のものだった。結局4月には1回しか行ってなかったのだ。まったくの勘違い。わずか一週間の記憶も曖昧なのかと、我ながら驚いた。

それでも、分かってすっきりした。日記のお陰だ。毎日、3年日記を書いている。出来事を少し書くだけだが割と面倒だ。しかし、一応毎日の日課になっている。今回のように記憶が曖昧であったり、自分の行動を調べる時には役に立つ。

そう思って、これからも寝る前にコツコツと日記をつけようと思う。

皆さんは日記とかつけてますか?

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2021年4月 4日 (日)

侵入者?!

ブログ、本当に久し振りになりました。既に、このブログのブックマークを外された方も多いと思います。

これからは精進して続けたいと思っていますので(何度目かな?)どうぞお見捨て無きようよろしくお願いいたします。

 

昨夜(深夜)、一度寝床に入った後に用事を思いだし、自分の部屋に入り、電気を点けるためスイッチに触れようとして思わず「ギョッ!」と声を上げてしまった。

スイッチのすぐ近くに大きな蜘蛛が居たのだ。今まで見たこともない大きな蜘蛛だった。一瞬、どう対処して良いのか分からす、お互い(僕と蜘蛛)、ジッとしたまま身動き出来なかった。そして、何を思ったのか、僕は蜘蛛にフッと息を吹きかけた。どうしようか考えていた蜘蛛は、思い出したようにササッと動き出し、ピアノの陰に隠れてしまった。

取りあえず、蜘蛛の姿が見えなくなったのでひと安心して寝床に戻った。しかし、あの大蜘蛛は部屋のどこかにひっそりと生息しているわけなのだ。

翌朝、妻に話したら、「そんなもん、掃除機で吸い込んで庭に捨てたら良いのよ」と平然と言う。掃除機は考えもつかなかった。ネットで調べてみると、写真はなかったが(見たくない)、「アシダカグモ」というものらしい。ゴキブリや、ムカデを食べるので益虫であると書いてあった。僕の天敵と戦ってくれるのだ。掃除機で吸い込まなくて良かったと思った。

しかし、あの大きな蜘蛛がひっそりと部屋の中に潜んでいて、僕の様子をじっと見ていると思うと、何だか落ち着かない。

(注:敢えて蜘蛛の写真は掲載しませんでした)

 

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2020年5月31日 (日)

耳鼻科

カーテンレールが壊れた。

古いので寿命なのだ。新しいものと交換した。

古いカーテンレールは伸縮出来ないタイプでかなり長い。無料の粗大ゴミでは出すことが出来ない。

コンビニで300円の証紙を買わなければいけない。

それも面倒なので、電動鋸で切ることにした。切り始めたら相当の高い金属音がして耳が痛くなるが我慢して切った。

切り終わっても暫く耳鳴りが止まらない。耳鼻科で観てもらった方良いだろうと思い、予約を取った。非常事態宣言が出てから、耳鼻科が一番患者が少なくなったと聞く。

しかし、予約が多く2時間後の診察になった。

聴力検査などもしてもらい、聴力が下がっていたが、一時的なものだろうとのことで、様子をみることになった。

診察料1750円。やっぱり300円の証紙を買っておいた方が良かったのだ。

ちなみに、耳鳴りは翌々日には治まりました。うーん!

うちのジジ(♀黒猫7歳)も首を傾げていた。

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2020年5月22日 (金)

初夏

コンプライアンスが全くない男が検事長をしていた。そして、さらには検事総長になろうとしていた。驚いた! 信じ難いことだ。

しかも、発覚前にギリギリセーフで法案を見送った疑いも強いらしい……。(ため息……!)

 

不愉快なので、この話は置いといて、

夏の定番、朝顔の種を植えた。去年の花が終わりの時に少し捕獲していたものと、友人からいただいた空色の種が。

朝顔は無事に芽が出た。新しい土がなかったので、古い土に百均で買った腐葉土と赤玉土を混ぜて再生土を造った。

夕顔も植えたけど、まだ芽が出ない。夕顔は難しい。

朝、ウォーキングしていたら、「たちあおい」が咲いていた。これも初夏の定番だ。

コロナの猛威や永田町の猛威と関係なしに、初夏は確実に訪れるものだ。

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2020年5月17日 (日)

ならぬことはならぬものです

あまり政治的な発言をしない日本の芸能人が勇気を持って発言し始めた。ご存知の「検察庁法案」だ。

キョンキョンとか、いきものがかりの水野さん、他大勢。

彼らの勇気ある発言にエールを送りたい。「ならぬことは、ならぬものです」。

 

話は変わるけど、今まで、植物園でしか見たことがなかった、ユリノキの花を、何とうちのすぐ近くでみた。運動不足解消のために、うちの棟のすぐ横で毎日縄跳びをしているのだけど、そこに何とユリノキがあった。似ているとは思ったけど、気付かなかった。昨日なにげなく見たらユリノキの花が咲いていた。とても珍しい花で(ユリノキはチューリップツリーとも呼ばれている)植物園が休園で今年は見られないと思っていたら、何と家から1分もかからない所にあった! まさに目と鼻の先。
縄跳びをする楽しみが増えた。




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2020年4月19日 (日)

さて、どうしたものか?

ここらで、日常を見直さないといけないと、ようやく思った。

「これは日常ではないのだ。異常なんだ」という意識があったけど、この状態は今年中(?)続くという可能性が高い。異常が日常になる。

この状態に慣れるのではなく、この状態の中で、どうやって新しい日常を作り出すのかということだと思った。

例えば、「マスク」が無かったら、今あるもので、あるいは代用できるもので、何とかしないといけないし「アベノマスク」に頼るのはあまりに滑稽だ。

今必要とされるのは「ブリコラージュ」的な知恵と、日常の再構築ではないかと、良くない頭で考えている。

季節は着実に前に進んでいるのだから。



(ソメイヨシノから八重桜、そしてハナミズキへ)


 

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2020年4月10日 (金)

「宣言」後の街の様子

今日、プリンターのインクが無くなったので、近くのショッピングセンターにある電気店に買いに行った。

驚いたことに長蛇の列。「開店セール」だったのだ。どうやら、予約抽選販売の家電がお目当てらしい。それにしても、この状況下でそれはないだろうと思った。僕は早々にその場を立ち去った。インクどころじゃないなあ! インクはネットで買うことにした。

「非常事態宣言」がどうなのかは別として、これだけコロナウィルスの感染者が増えているのに、客も、店員も群がるように狭い空間に居るのはアカンやろとさすがに思う。店の人が二人、小さな声で「これ、マスコミに見られたらエライことやな」と話していた。ホントにそう思う。

これじゃあ「宣言」の意味がないと思いませんか?

 

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2020年3月30日 (月)

視力検査

ドイツのメルケル首相の「新型コロナウィルスについての演説」を読んで感心した。民主主義国家の指導者として、きちんと自らの理念を伝え、市民を説得し、共感させる内容だった。どこかの首相とはえらい違いだった。

話は変わって、先日、眼科に行って来た。診察を待っている時に、いろんな人が視力検査をしていた。大人の人はみんな、「右」とか「上」とか言葉で答えている。高校生位の男子がやって来て視力検査をした。彼は右手人差し指で空いている方向を指していた。そうです、小学校の視力検査で子ども達がやっている方法です。次に大人の女性がやって来たが、彼女は「右」とか「下」とか言葉で伝えている。その次はやはり高校生か中学生の男子だった。彼がどうするか、僕はとても興味を持って見守った。彼はやはり、人差し指で空いている方向を指さしていた。しかも、左目の時は左手で、右目の時は右手で指さしていた。「うーん、すごい!」この2人の男子は小学校6年間で培った視力検査の方法を未だに実践しているのであった。しかし、いつの時点で「指さし」から「言葉」に変わるのだろう?

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