小説・童話

2017年5月21日 (日)

真夜中の声(後編)

翌日の晩も同じ時刻に歌―もう歌と言って良いと思う―が聞こえた。やはり風が吹いていた。その風に乗るように外から聞こえてくるのだ。

僕は今日こそはその歌を確かめようと思っていた。外出用のパーカーを着て、LEDの懐中電灯も用意していた。出来るだけ音を立てないように静かに家を出た。

外に出たとたん、ブルッと身震いした。僕はパーカーのファスナーをきっちり一番上まで上げ、フードを被った。歌は微かだが、近くの公園の方から聞こえてきた。

タバコの自動販売機の前で時計を見る。二時三十分丁度だった。人はもちろん、車さえ通らない。満月に近い月がぽっかりと浮かび、辺りはそれ程暗くなかった。

カサッと物音がして僕はドキッとした。雉ネコがこちらを向いて小さい声でニャーっと鳴いた。赤い小さな舌が見えたような気がした。

公園に着くと、そこは淡い桜色で満たされていた。桜の木は黒く、その上に白に近い淡いピンクの花びらが中空を埋め尽くしていた。その一つ一つの花が風に揺れ、枝から離れて桜色の風になる。

群青色の空には灰色の雲がかかり、歪んだ月が時折顔を出す。僕はその桜色の風の中に居た。何も考えずに、ただその中に居た。歌声が風の中から聞こえている。リベラの少年達の歌声のようにも聞こえた。

それは、桜の花びらが歌っているように透明で不確かな歌だった。どこの国の言葉でもなく、スキャットでもない。僕は風と歌声の中に立ち尽くし、動けなかった。

突然、枝が大きく揺れ風が鳴った。花びらと小さな枝が宙を舞う。僕の胸がザワっと騒ぐ。無秩序に舞っていた桜色の風はやがて一つにまとまり、まるでそこに道があるかのように、大きく螺旋状に舞い上がっていった。

雲が途切れ、月の明かりがぼんやりと辺りを照らし、誰も居ない滑り台が闇の中に浮かんだ。その時、僕は突然気がついた。何故歌が聞こえたのか、何故ここに来なければならなかったのかを。

 

僕は急いで家に帰った。風も止み、歌声も聞こえなくなった。誰も居ない通りを歩く。いつの間にか僕は泣いていた。その涙を止めることは出来なかった。もう、僕には分かってしまった。家に帰ればどんなことが待っているかも……。

静かに玄関のドアを開け(いや、静かにする必要もないのだが)家に上がる。和室の隅に置かれた小さな仏壇の前に立つ。電気を点けなくてもちゃんと見える。

白い布の掛った台の上に僕の写真と白木の位牌があった。そして、その側に僕の大好きだったクリスタル・ガラスの小さなピアノが置かれていた。あの歌と同じ旋律を奏でるオルゴールだ。

そう、あの日、金曜日の晩だった。2時22分、突然だったんだと思う。あと何日かしたら公園の桜が見られるというあの日に……。(了)

yozakura

(※画像はウェブサイトから拝借しています)

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2017年5月19日 (金)

真夜中の声

久し振りの小説です。掌編です。

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真夜中の声(前編)

夜中に目が覚めた。時折強くなる風の音に混じって、小さな雨音も聞こえる。壁に掛ったデジタル時計を見ると、きれいに2が三つ並んでいた。2:22。

朝までまだ十分な時間がある。いくら何でもこのまま起きているわけにはいかない。しかし、妙に目が冴えてなかなか寝付けない。仕方なく枕元のスタンドを点け、開いたまま寝入ってしまった本を手に取り、続きを読む。風の音が止んで微かに雨音だけが聞こえている。

小説を読んでいるうち、印刷された文字が、実際に書かれているものなのか、夢の中で読んでいるものなのか曖昧になってきた。そして、その時微かな声が聞こえた。

喋っているようでもあり、歌っているようでもある。一人でもあるようだし、複数でもあるようだ。しかし、何を話しているのか、あるいは何を歌っているのかは分からない。でも、こんな時間であるにも関わらず、不気味な感じはしなかったし、逆に単調だが、穏やかなオルゴールの音を聞いているような安らかな気持ちにさえなる。

僕は本を閉じて目を瞑りその声を聞いた。どこから聞こえてくるのだろう? 家の中からだろうか? 外からだろうか? どちらかであるようだし、どちらでもないような気もした。歌だとしたらどんな種類の歌なのだろう? 子どもの頃に聞いた懐かしいメロディーのような気もするし、賛美歌のような宗教的な音楽のようにも聞こえる。そんなことを考えながらいつの間にか寝入ってしまった。

朝起きて妻に聞いてみた。

「夜中に誰かの声が聞こえなかった? 話し声のような歌のような……微かな音だけど」

妻はそれについて考える素振りもなく、黙って朝食の支度をしていた。ちょっと考えてくれても良いのにと思いながら僕はテーブルについた。

妻が、少し粗めに挽いたコーヒーをペーパーフィルターに入れ、熱いお湯を注いだ。そして、フライパンでベーコンを焼き、卵を一つ落とした。でも、それらは何の匂いもしなかった。コーヒーの香りも、ベーコンの脂の匂いも、フライパンを熱する匂いも……。

 

その日の晩も2:22に同じ声が聞こえた。僕はその時間まで起きていて、蒲団に入って本を読んでいた。声は昨日よりも幾分大きくなったような気がした。昨日と同じように少しだけ風の音がした。

話し声と言うよりは、より歌声に近くなったような気がする。そして、その歌は心地よいものだった。心の深くに染みわたり、静かに感情を揺さぶる。僕は知らずに泣いていた。何故涙が出るのか分からなかった。コップに溜まった水が自然にあふれ出るように、感情の引き金もなく瞼を潤し流れ出した。そして、そのまま深い眠りについた。

翌日の晩も同じ時刻に歌―もう歌と言って良いと思う―が聞こえた。やはり風が吹いていた。その風に乗るように外から聞こえてくるのだ。僕は今日こそはその歌を確かめようと思っていた。

外出用のパーカーを着て、LEDの懐中電灯も用意していた。出来るだけ音を立てないように静かに家を出た。(つづく)

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(※画像はウェブサイトから拝借しました)

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2016年5月11日 (水)

移動図書館

図書館が近くに2つもあるのに、最近はうちの団地に来る移動図書館を利用することが多い。

なんせ、歩いて2分。

今日も雨だったので、移動図書館は来ていないかと思ったが、ちゃんと来ていた。ありがたいことです。

本好きのKちゃんの分と自分の分、合計10冊を借りた。

仕事の本も含めて、読まなければいけない本と読みたい本と、たくさんあり過ぎてなかなか消化できない。

今回も、図書館の本を読み切れず延長した。貸し出し期間の2週間はあっという間に過ぎてしまう。

こんな雨の日は一日中でも本を読んでいたいのに、なかなか叶わない。

今日は、先日の生体検査の結果を聞きに行く日だったので、病院に本を持参した。

しかし、今日は珍しくあまり待たされなくて、結構早く終わった。予定していた本を読めなかった。

でも、検査の結果はまあまあ良かったので安心した。

 

週に1回は何もしないで一日中本を読む日が作れたら良いなぁとつくづく思う。

でも、何もしない日なんかあり得ないですよね。

これからも時間の隙間をついて、読みたい本よりも、読まなければいけない本に追われてしまうのかな?

syousetu

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2016年3月20日 (日)

ぼくがラーメンをたべてるとき

今回は食べ物の話ではありませんよ。

衝撃を受けました。

 

いつものKちゃんが、うちの団地に来る移動図書館から本を借りてきた。

その内の一冊が、長谷川義史さんの「ぼくがラーメンをたべてるとき」だった。

Kちゃんが「おじちゃん読んで」というので読んであげた。

実は、Kちゃんも僕も、長谷川義史さんの絵本が大好きなのです。

絵も面白いし、優しい、懐かしい感じがする。

お話しはとてもシンプルだ。

男の子が家でラーメンを食べているところから始まる。

「ぼくがラーメンをたべてるとき、となりでミケがあくびした」

「となりでミケがあくびしたとき……」

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(注、絵本の一部を撮影させてもらいました。以下も……)

(次ページ)

「となりのみっちゃんがチャンネルをかえた」

「となりのみっちゃんがチャンネルをかえたとき……」

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(次ページへ)

 

こうして場所がどんどん変わっていき、やがて隣の国になり、またまた隣の国へ……。

そして、終わりのほうで

「そのまたやまのむこうのくにで」

「おとこのこがたおれていた」

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(次ページ)

「かぜがふいている」

「そのとき……」

(次ページ)

「かぜがふいていた……」

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で、元の男の子がラーメンを食べている場面に戻る。

最後は、ミケがソファーに座りまどの外を見ている。その景色は男の子が倒れていた国の景色によく似ていた。

 

1ページに2行ほどのテキストだけで、何も説明していないが、とてもよく伝わってくる。この絵本にはそういう力があった。

いつもは長谷川さんの絵本をにこにこして読んでいるKちゃんだが、この本を読み終わった時悲しそうだった。

ちゃんと伝わってくるのだと思う。

ネットで調べたら、この絵本は多くの賞を貰っているみたいだ。そして、長谷川義史さんの写真を見て、まったく迂闊だった自分に驚いた。

絵も、作者の名前も、何だか見たことがあると思っていたら、時々見る「毎日テレビ」の「ちちんぷいぷい」という番組に時々出てくる画家だった。

彼は、番組で、大阪や、神戸などのあちこちをぶらっと歩きながら絵を描いていて、その絵が優しくてとても良い絵で、僕はいつも楽しく見ていたのだ。

まったく迂闊であった。

 

絵本を言葉でうまく説明できなくてもどかしいです。

みなさんも機会があれば是非のこの絵本を手にとってご覧頂けたら嬉しいです。

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2015年9月24日 (木)

小説「かげろふ ー二度目の夏ー」その3

シリーズ三作目の編集が終わった。シリーズの最終となるドキュメンタリーは、JR福知山線の事故についての番組になる。エンドロールが出来、後はテーマ曲を何にするかだけになった。

シリーズの締めくくりとなるので、印象的な音楽にしたいと思った。いろいろ考えたが、なかなか適当な曲が思いつかない。

「蒼空(あそら)、エンディングのテーマ曲は決まったか? もう余裕は無いぞ。何でも良いから適当に決めてしまえよ」

同僚のディレクター、吉田に催促された。椅子にもたれ目をつぶって考えた。いくつかの候補を口ずさんでみるがどうもピッタリこない。資料室でCDでも探そうかと思い立ち上がった。不意に、あのメロディーが浮かんできた。結羽があの時口ずさんだメロディーだ。

これだ。吉田にメロディーを聴かせて、こんな曲はどうだと訊いた。

「俺もそれで良いと思う。それは誰の曲だ? 早速許可を貰おう」

「いや、プロの曲じゃない。友人が賛美歌のようなものを自分流にアレンジして作った曲だ。だから音源も何も無い。友人には後で了解を得ておく」

吉田は驚いた顔で僕を見た。それから、少しの間考えて言った。

「制作室に、コンピュータで音楽を作るのが趣味の神崎って奴がいたな。あいつに作らせよう。蒼空、おまえちょっと行ってこいよ」

吉田から連絡を受けていたのか、神崎は制作室の入り口で僕を待っていた。長い髪を後ろで一つに括った痩せた男だった。まだ若そうだった。

「吉田さんから聞きました。ちょうど今、時間が空いているのでちょっと聴かせてください」

そう言って隣の音響室に案内した。マイクスタンドや配線コードを横に除けてイスを僕の前に置いた。神崎は小さなレコーダーを持ってきて

「イスに座って、そのメロディーをゆっくり口ずさんで貰えますか。これで録音します」

神崎は僕と向かい合って座った。神崎の合図でゆっくりと口ずさんだ。一度聴いただけなのに、あのメロディーが正確に口から出てくる。まるで結羽が僕の口を借りて歌っているように美しく途切れなく流れる。

歌い終わると、神崎が昂揚した顔で僕を見ていた。

「いいですねー。これは良い! 凄い素材だ。早速作ります。二日だけ時間をください」

そう言いながら、レコーダーを再生した。

「それにしても、蒼空さんは声が綺麗ですね。驚きましたよ。歌うとまるで女性の声のように美しい。普段の声とまるで変わっちゃうんですね」

自分でも不思議に思う。普通、こんな綺麗な声が出たことが無い。声が褒められることなど今まで一度もなかった。

二日後に神崎が完成した曲を聴かせてくれた。完璧だった。あのシンプルな曲が弦楽四重奏風にアレンジされていた。それは、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」のように、美しく奥の深い音楽に仕上がっていた。エンドロールにだけ使う予定だったが、タイトル・バックや、全編の重要な場面にも流すようにした。こうして最後のシリーズが完成した。

 

誰も居なくなった音響室でもう一度その曲を聴いた。灯りを消し、深く椅子に座り、目を閉じる。バイオリンだけの単一の音に、少しずつ他の弦が重なり、深い響きが広がる。その響きの中に透き通る女性の歌を聞いた。その声は少しずつ輪郭を持ち、僕の頭の中で一人の女性の姿になる。小さな唇がメロディーを口ずさむ。それは、僕の中の一番深いところまで静かに染みわたっていく。間違いなく結羽だった。

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2015年9月23日 (水)

小説 「かげろふ」ー二度目の夏ーその1(再)

この小説は、前に連載した「陽炎」という小説の続編になります。

10枚程度のごく短い小説で、物語的には、ドキドキ、ワクワクという感じはまったくありません。

それでも良かったら、読んでいただけたら嬉しいです。

(※その1をその2で、うっかり上書きしてしまいました。なので、念のためもう一度アップしました。申し訳ありませんでした。コメントも1回目にいただいたものとダブっています。)

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「かげろふー二度目の夏ー」

夏がまたやって来た。

この春から、僕は地元の放送局に再就職した。前に勤めていた放送局で世話になった先輩の紹介もあり、何とか入社することが出来た。

幸い僕の希望通り、報道やドキュメント関係の仕事が出来ることになった。僕のキャリアも多少役に立ったのかもしれない。入社して間もなくから取りかかっていたドキュメントの仕事がようやく一段落し、お盆に合わせて久しぶりに長めの休暇が取れた。

 

休日なのに朝早く目が覚めた。首筋の汗が不快だった。久しぶりに散歩でもしようかと思った。そう言えば、しばらく運動らしきものはしていない。

朝の六時。さすがにこの時間はまだ空気が軽い。時折吹いてくる風も心地良い。お盆休みのせいで、舗道も車道もまるで空っぽだ。ジャージにTシャツ、サンダル履きの女がコンビニの袋を下げて歩いていた。すれ違いざまに化粧をしていない腫れぼったい顔で僕をチラッと見た。その顔を見て、お茶が要るなーと、突然思いついた。コンビニでお茶を買った。バス通りを逸れて住宅街を抜け、去年の夏によく行った菅原神社まで歩くことにした。もしかしたら結羽(ゆう)に会えるかもしれない。そんなほとんどあり得ない期待もあったと思う。

去年は畑だった所に新しいアパートが建っていたりはしたが、概ね同じような風景が続いていた。白いムクゲを見て少し安心もした。通りにある幼稚園のひまわりが一斉に僕の方を向いていた。僕の後ろには雲に隠れた朝の太陽があったはずだ。角の、無人の野菜販売所もそのままだった。キュウリやナスの入ったビニール袋が無造作に置かれていた。ビニール袋に付いた水滴が瑞々しかった。参道に続く石段をクマゼミの声を聞きながら上る。首筋に浮かんだ汗を拭きながら一段一段上ると、普段の運動不足を改めて感じる。

階段を上りきると参道が明るく開けていた。首筋を朝の風がすーっと通り過ぎる。本殿の側の椋の木が作る木陰の中にあのベンチがあった。

ベンチは未だ眠りから覚めていないようにひっそりとそこにあった。ベンチに座りお茶を飲む。冷たいほうじ茶が、香りといっしょに喉を通る。何故か急に、今年の暮れには四十一になる自分の年令を実感した。

僕は暫くの間、無数のクマゼミの鳴き声の中に居た。やがて、地面を照らしていた朝日が色を失い、辺りが灰色になった。クマゼミの音がぴたりと止まる。ほんの短い時間、音の無いモノクロの空間の中に居た。やがて、朝日が再び地面を照らし、急にスピーカーの音量を上げたようにクマゼミが鳴き出した。僕は軽い目眩に襲われ、暫く目を閉じる。地面が揺れるような感覚が少しの間続いた。揺れが収まるのを確認して目を開ける。

あの時と同じように、シオカラトンボが僕の目の前をスーッと横切り、左手の坂道の方に飛んでいった。トンボの向こうに日傘の先が見えた。薄いオレンジ色の日傘がゆらゆら揺れて、やがて白いTシャツが見え、胸の真ん中の向日葵のプリントが見えた。薄手の涼しげなベージュのスカートが見えると、彼女は、日傘をずらして、小さく会釈した。ぼんやりと見ていた僕は、慌てて会釈を返した。

お早うございます、と言って僕の隣に座る。柑橘系の香りが微かに漂う。結羽だった。(つづく)

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2015年9月21日 (月)

小説 かげろふ ー二度目の夏ーその2

「帰ってきたんだ?」

「お久しぶりです」

まったく日焼けをしていない白い肌で、あの時と同じ優しい笑顔を作った。

「お変わりありませんでしたか?」

いつの間にかセミの音が止んでいた。結羽の声だけがこの空間の音になる。

「君のお陰でもう一度仕事をやる決心がついた。簡単にリセットする訳にいかないからね」

「そう。それは良かったわ。あなたはそうすると思っていた」

「修論はもう済んだかい?」

それには答えず、フッと笑って空を見上げた。朝の白い月が雲の一つのようにぼんやりと浮かんでいた。

「あなたに会いたかったの。ずーっと、そう思っていた」

「向こうの生活はどうだい?」

「とても穏やかに過ぎていくわ。邪悪なものは何も無い」

予想通りの答えに安心した。

「邪悪なものはどこに行くんだろう?」

「私達の世界とは違うどこかね。閉ざされた世界」

「来年も会えるかな?」

「あなたが私を忘れない限り会えるわ」

「忘れないよ。君はいつだって僕の中に居る」

「ありがとう。私はそういう<想い>の中に生きているんだと思う。一人ひとりの<想い>の点を結んで私は生きていける。だから覚えていて欲しい。例えそれが辛いものであったとしても」

白い月が、途切れた雲の間からまた出てきた。淡く消えてしまいそうに儚くて、でも決して消えることはないんだと、僕は考えていた。

「あなたの番組が見たいわ」

「番組編成の都合で時期が随分ずれたけど、今度放送されるよ。深夜だけどね。君は見ることが出来るかい?」

「深夜は得意なの」

結羽が僕を見て笑った。その笑顔はとても穏やかだった。

「前に居た大手の放送局と違うから予算は少ないけど、何回かのシリーズで放送できる。三年前のJRの事故もその一つだ。被害者や遺族の方々の声をたくさん伝えたいと思っている。それが僕のやるべきことだと思う」

結羽は黙って杜を見ていた。凪いだようにセミの声は聞こえない。

「あれからもたくさんの理不尽な死があった。僕らはそれをどうすることも出来ないんだろうか?」

「どうすることも出来ないのかもしれないわ。でも、あなたの言うように、それを伝えることは出来る。そうすることで救える命があるかもしれない」

「……そうだと良いね」

「聡美さんはお元気?」

「ああ、元気みたいだ。今も時々電話が掛かってくる。時々飲みにも行く。とっくに別れた元女房なのにね」

「私も聡美さんに会ってみたい」

「驚くだろうな。でも、いつか会えると思うよ」

結羽はそれには答えず、小さな声で何かのメロディーを口ずさんだ。バラードではあるが、不思議なメロディーだった。聞いたことのないメロディーなのにどこか懐かしい。単調なのに深く胸に沁みる綺麗なメロディだった。僕は目をつぶって歌詞の無い歌を聞いた。

目を開けると、凪いでいた風が歌のハーモニーのように結羽の髪を梳いていった。杜の風は真夏の風と思えないくらいひんやりと心地よかった。

「何の歌?」

「小さい頃に母に教えて貰ったの。賛美歌の一種かもしれないわ。でも、本当はこんな歌では無くて、いつの間にか自分で気に入ったようにアレンジしたのかもしれない。でも、このメロディーを歌うと気持ちがとても落ち着く。母親の胎内に居る時ってこんな感じかもしれないわ」

「君だけじゃなくて僕も安らぐ。そういう歌ってあるんだね」

その歌によって、結羽と最も深い所で気持ちが繋がるような気がした。

「もっと歌って欲しい」

僕が言うと、結羽はフッと笑って歌を続けた。もう一度目をつぶりそれを聞いた。僕は何も無い空間に漂っている。聞こえるのは結羽の歌うメロディーだけだ。ここは母親の胎内かもしれない。それとも、隔てる物が何もない銀河なのかもしれない。僕は何も考えず、何もせずただそこを漂っている。

突然クマゼミが鳴き出した。僕は静かに目を開ける。朝日が作る椋の木の陰が一層濃くなっていた。

「そろそろ帰ります」

結羽はスカートの後ろを軽くたたいて、オレンジの日傘を取った。それから雲の無くなった空を見上げて眩しそうに日傘を開く。結羽の日傘は、ここに来るときに見た向日葵のように僕を見ていた。

himawari

「聡美さんによろしく」

日傘の中でそう言って笑った。僕も笑って頷く。

彼女は、本殿の横手の坂道を降りていった。僕は、ぼんやりと後ろ姿を見送る。

日傘を少し揺らしながら坂道を降りていく。足下と腰が見えなくなり、やがて傘だけになる。突然、傘が小さな粒状に弾けて消えた。そこは夏の空と雲だけになった。

僕はペットボトルのお茶を飲んで、立ち上がり、歩き出す。(つづく)

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2015年5月26日 (火)

すがすがしい朝のひと時

この4月からいろいろと忙しいことが多くて、なかなか思うように自分の時間が取れなくなりました。

今年は小説も頑張って、いろんな賞に応募しようなどと企んでいることもあって、尚更時間が要ります。

一日24時間しかないので、どう有効に使うか考えると、やっぱり朝しかないんですね。でも、早起きは昔から苦手なのです。

朝の活動がどれだけ有効なのか試して見ようと思い、4月から朝の5時起きを実践しています。まだまだ遅い!と突っ込まれそうですが、当面これが精一杯なので、出来ることからまず。

5時に起きて、顔だけ洗ってパソコンに向かい、3時間小説に集中します。

気候も良いので、結構進みます。5月の中頃締め切りの賞にも間に合い、応募することが出来ました。今は、6月締め切りの応募作品を書いています。

最近は「ネット上で発表した作品も不可」という規定があったりするので、このブログでなかなか公開できないので残念です。

夜は酔っ払っているので、なかなか集中できないのですが、朝はやはり頭が冴えますね。自分でも不思議なほど進みます(作品の善し悪しは別として(^^;))。

もっと早くからやっていたら、もっとたくさん小説が書けたのになーと後悔しています。

でも、今更ながらこんなことに気付くなんて、やっぱりダメ人間の典型なのかな、なんてつくづく思います。

さあ、小説に戻ろおっと。  みなさんの時間の有効な使い方など教えていただけませんか?

(※イメージです)

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2014年12月17日 (水)

小説「Angel/小さな翼を広げて」~前編最終回~

男の顔が歪んだ。驚いているのだろう。登山ナイフの刃先が震えていた。でも、これはとても危険なことだ。男は、森田さんにナイフを向けた。目が据わっている。夢の中で男の子達を見ていた目だ。

「コロスぞ」

その目が言っている。ー夢じゃないー誰かが頭の中で叫ぶ。

僕は筒を口に咥える。森田さんが男を塞いで矢を打てない。

「刺される」

ジワッと額に冷たい汗を感じた。汗がこめかみを伝って首筋に至る。心臓がトクンと鳴った。男の手元が見えない。ナイフの刃先が森田さんの胸に突き刺さる光景がフラッシュした。

その時突然音楽が鳴った。決して大きい音ではないが、無音だった空間に響き渡る。

「Angel」

下校の放送だった。男は一瞬、後ろの壁のスピーカーを振り返って見た。その隙に森田さんは泣いていた女の子を庇うようにしてうずくまった。

「今だ!」

僕は瞬間、深く深呼吸をして息を吐いた。咥えた筒が一瞬だけピクッと震えた瞬間、矢が空気を裂きながら突き進む。音は聞こえないけど僕の鼓膜が微かに震えたのを感じた。Angelの曲が一瞬止まった。そして、矢は男の右腕に突き刺さり、微かに震えながら止まった。止んでいた音楽がまた聞こえだした。

Angel あなたの中の静かなる幻想の残骸
そこから助け出されるわ
天使の腕の中にあなたはいるの
ここで安らぎを見つけられますように」

angel

歌は無いのに僕の耳にはそう聞こえた。

男は一瞬、こちらに目を向けギョロッと睨んだ後、ガクッと膝をつき、そのまま仰向けに倒れた。登山ナイフがころころっと転がり教卓の足に当たって止まった。

「行くぞ!」

教師達がさすまたを持って走り出した。五分刈りの先生が男の首にさすまたを当てて様子を見た。男はよだれを垂らし小さく痙攣をくり返す。その後ぐったりと動かなくなった。微かにハーブの匂いがした。他の教師が子ども達を誘導している。子ども達の泣き声で下校の曲は聞こえなくなった。僕は筒を置いて森田さんに駆け寄った。彼女は僕の顔をまじまじと見つめ、それからゆっくりと僕に抱きついてきた。そして、僕の胸の中でパトカーのサイレンが近づいてくるまでずーっと泣いていた。僕は、Yシャツを通して森田さんの吐く息の温もりと、湿った涙の感触を同時に感じていた。

(前編了 後編につづく )

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2014年12月 6日 (土)

小説「Angel/小さな翼を広げて」~その14~

「教務主任、警察に電話!」

誰かの鋭い声が聞こえた。慌ただしく職員室を駆け出す足音がいくつも聞こえた。僕は吹き矢の段ボールを抱えて廊下に出た。さすまたを手に持った数人の男性教師の後について走った。管理棟の廊下の奥の階段を一気に三階まで駆け上った。胸が苦しい。階段を駆け上がったせいなのか、緊張のせいなのか分からなかった。一緒に上った三人の教師と顔を見合わせ小さく頷く。どの顔にも色が無かった。足音を抑えて、呼吸さえも抑えて、教室棟に至る廊下を早足に歩いて教室に近づく。犯人を刺激するのは危険だ。廊下の突き当たりの両側に五、六年生の教室が二つずつある。左側の六年の教室には誰もいない。もうすでに下校しているようだ。教室は開放教室で教室の前には両クラス共通の多目的スペースがある。教室と同じ位の広さの板敷きで、今は人の気配を失ったがらんとした空間である。多目的スペースの窓辺に置かれたメダカの水槽からエアポンプのポコポコという音だけが微かに聞こえる。廊下を挟んで右側の五年生の教室は一クラスは下校済みで誰もいない。どうやら奥のクラスだけがまだ下校していなかったらしく、そこに犯人も居るはずだ。

「森田先生のクラスだな」

五分刈りの教師が隣の教師にささやいた。痩せた教師が頷く。「体育の後だったんで下校が遅くなったんだな」と呟く。

廊下の資料戸棚の陰から多目的スペースを通して教室の様子を見る。ここの教室は、多目的スペースとの境の壁が無く一体になっている。二十人近くの子どもと、森田さん。そして、登山ナイフを持った二十代の男が居た。フード付きのグレーのトレーナーにジーンズ。脱ぎ捨てられたスリッパが近くに裏返っていた。机は後ろに動かされ、子ども達と森田さんが黒板の前に集められていた。黒板の真ん中に「<宿題>お友達と仲良く遊ぶこと」と白いチョークで書いてあった。男は子ども達の前に陣取り、森田さんに登山ナイフの刃先を向けていた。街で見かけても特に印象にも残らない普通の男だ。妙に落ち着いた男は唇に微かな笑みさえ浮かべていた。色彩を欠いた表情の中で、赤味を帯びた唇が不気味だった。こちらから見ると後ろ向きになっている子ども達は、まだ体操服のままの子も何人かいた。上だけ、ゼッケンの付いた体操服の女の子もいた。声こそ出さなかったが、一様に肩が震え、体操座りの膝がカタカタと鳴っているようだった。その音さえ聞こえてきそうな位だった。森田さんの右手のジャージが破れて赤い筋が見えた。そして、その下の床にも赤い色のシミが見える。

「血だ!」(つづく)

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